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【小説】健子という女のこと(29)

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 田端健三は、名古屋へ向かう新幹線・のぞみにいた。

 車窓には、晩秋から冬を迎える準備中の田園風景が、下りカーブに展開している。焼津あたりだろうか。海原には魚鱗のような波が、細かく踊るように、揺れながら漂っている。
 健三は、内ポケットから、無意識に携帯電話を取り出して、液晶画面を覗き込む。架かってくるはずのない、<冴子>の文字を、探している自分の哀れさが、車窓の景色と重なり、心で泣けた。
 通路を隔てた、隣の席の老夫婦が、弁当を開けながら、何やら話し合っている。長年、連れ添った者同志の、言葉を必要としない、無言のやりとりが、今の建三には、堪らなく眩しかった。

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 冴子には、少しもいい目を、見せてやれないまま、逝かせてしまった。
通夜の宵、長男の守が、生前の冴子のことを話してくれた。健三は、その話を聞きながら、涙を堪えていた。
「今思えば、楽しいことばかりだったと思えるけど、その当時は死んでしまおうかと、思ったことが何度もあったって、この前、お母さんが話してたんだ・・・」守は、力なくボソッと話し始めた。
 冴子と所帯を持った当初は、安給料だった。長男が生まれ、まだ小さかった頃、借家の家賃の援助を両親から受けなければとても、やっていけないほど家計が苦しかった。
 でも、あの頃は、まだ若さがあり夢もあった。よく喧嘩もしたけど、二人には将来に何かの可能性を、信じてやってこれたのだろう。あの頃の揉め事の原因は、いつもと言っていいほど<お金>が絡んでいた。でも、それは若さに秘めた、可能性で、何とか折り合いをつけていたのだろう。
 長男がまだ三つのころ、健三の母が脳血栓で倒れた。それぞれ、実家の近くに住んでいた、二人の兄夫婦と交代で、半身不随の母を、男手ひとつで、看病する父親を、助ける日々が続いた。そんな折「健三のことが、一番可愛いんだって」健三のすぐ上の兄が、そう切り出した。「同居しなければ、親父も大変だろう・・・」って、続けて父親の代弁をするように言った。そんな言葉に、揃えるように、一番上の兄が、「そうだ!お前んとこ、親父から家賃を出して貰ってんだろう」って。
 兄たちが口を揃えて、健三にいっそのこと、同居してやれと、言ってくるのだった。後になって、その時のことを、健三は何度も冴子から、責められたことを守るの話を聞きながら、思い出していた。
「辛かった・・・って、お母さんが言ってた」守は話を続けてくれる。
「オレが、まだお母さんを恋しがる時期に、オレをそっちのけで、同居して、おばあちゃんの面倒を、見なければならないのは、何かの運命と思って、一生懸命やったのよ!って、言って唇を嚙んでいた。それから、おばあちゃんが、一生懸命つくった夕飯のおかずを、黙ったまんま箸で、皿ごと返したこともあったって・・・そのとき、お母さんは一番辛い思いをしたんだって言ってた」
 健三は初めて聞く、冴子の辛い体験に触れながら。息子の前では、なんとか涙を堪えていた。だが、相づちを打つこともなく、ただ一点を見つめて両膝を握りしめる父親に、守は言葉をそれ以上繋いでこなかった。
 健三は、笑顔で家事を片付けてくれていた、当時の冴子の陰の部分に、気づかなかった自分を責めた。そして、おそらく当時の健三に、要らぬ負担をかけまいと、耐えてくれて冴子の健気さに詫びた。
 つまるところ、口煩いばかりだと、思っていた冴子の掌の上から、一歩も出ていない自分だったのだと、深夜健三はひとりになった自室で泣いた。
 翌朝、喪主の挨拶の時、列席してくれた冴子の親友と目が合い、生前冴子が一番嫌っていた、他人の前での男の涙を、不覚にも流してしまった。そして、挨拶はボロボロになって終わった。

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 新幹線・のぞみは、ほぼ定刻に、名古屋に着いた。

 名古屋で乗り換えた、高山本線は、紅葉の海を渡る遊覧船のようだった。
紅色はあくまでも赤く、黄金色はどこまでも黄色い色を、互いに競い合っているようだ。
 健子のその後の経過は、携帯で本人から聞いているので、あまり心配はしていないのだが、やはりこの目で、確認しなければ、本当に安心できない。内科の疾病のことを思えば、外科の快復はことのほか早い。まして健子の若さなら、日毎に快復するスピードが速くなるようだ。
「明日の診察でOKをもらえば、転院して通院でいいだろうって、先生に言われたの」って昨夜、健子は携帯で話してくれた。
「じゃあ明日の午後、そちらに寄ってから、神戸へ戻ろう」そう健子に言って携帯を切った。


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