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「命の機微」第1話
【あらすじ】
人でなしだが、優秀な外科医である奈倉礼司。
ある日の昼、奈倉が恋人の茉莉香と食事をしていると、見知らぬ男から電話があり、前妻との間にできた大事な一人息子の栄斗が誘拐されたことを知る。
人間性に問題のある奈倉だが、自分の分身とも言える息子だけには異常な愛着があった。
息子を助けるため、電話の男の言いなりになるしかない奈倉は、指示された廃墟ホテルの一室へ向かう。
するとそこには、手錠で繋がれて動けない状態の若い女がいた。
そして、電話の男は、奈倉に対して無理難題を吹っ掛けるが・・・。
【第1話】
「お願いです。私にできることなら何でもしますから、解放してください」
突っ立ったままこの女の監視を始めてから五分ほど経った頃だった。それまではただ黙って震えながら、怯えた目つきで俺を見ているだけだった女が、意を決したように懇願してきた。
女は、部屋の奥の壁に取り付けられている手すりのようなものと左手を手錠で繋がれたまま、ベニヤ板が散乱している床に座り込んでいる。
年齢は二十代中盤といったところか。黒いジーンズに、白いゆったりとした長袖ブラウスというラフな格好をしている。化粧の薄い、目鼻立ちがくっきりとした透明感のある美人だ。もし身近にいたのなら、食事に誘わずにはいられないだろう。今はとてもそんな気分になれないが。
部屋の中央には、置き型の照明器具が二つあった。コードがないから、電池で動くタイプなのだろう。小型だが、性能が良いのか、室内は比較的明るかった。
そのおかげで、ここが廃墟なのだということが嫌というほど伝わってくる。殺風景で、椅子一つ置かれていない。部屋の隅にダンボールがいくつか積まれている程度で、物らしい物はほとんどなかった。
室内の温度は、長袖の黒いYシャツ一枚にチノパンという格好をしている俺が、暑くも寒くもない、という状態だった。十月上旬という過ごしやすい時期だったことに救われた。冷暖房などあるわけがないこの部屋で、一月や八月に呼び出されていたらたまったものではない。
「なんで黙ってるんですか。お願いします。家に帰らせてください」恐怖をたっぷり塗した声色で女が言葉を吐く。
そんなことを言われたところで、俺には何もできない。俺だって、なぜ自分が今こんな目に遭っているのかさっぱりわからないのだから。
俺の困惑を置き去りにするかのように、女が続ける。
「お金だったら、持っているだけ全部渡します。財布に三万円ぐらいありますし、銀行にも二十万円くらいだったら入ってます。だから、お願いします、助けてください」
さすがに無視し続けるのが辛くなってきた。
「やめてくれ。俺に何か言っても無駄だ。俺は、人質を取られて無理やり君の監視役をやらされているだけなんだ」
「えっ?」
「息子が誘拐された。君をここで監視しなければ、息子がどうなるかわからないんだ。俺も被害者だ。だから、何か頼まれても困る。できることなんて何もないんだからな」
「何ですかそれ……? 何を言ってるんですか……?」
目を瞬かせながら怪訝そうにしている。状況がよく理解できていないようだ。
ごく自然な反応なのかもしれない。てっきり誘拐犯の一味が現れたと思ったら、実は同じ被害者なのだと言われれば、混乱もするだろう。
女がたどたどしく言葉を発する。「からかってる、わけじゃないんですよね」
「そんなことして何になる。紛れもなく、俺も被害者だよ」
吐き捨てるように言った後、大きなため息をついた。女は、口を半開きにしながら茫然としている。
引き続きいろいろ話しかけてくるかと警戒していたが、杞憂に終わり、女は繋がれている手錠のあたりを一点見つめしながら黙り込んだ。煩わしい会話に付き合う必要がなくなったことに一瞬ありがたさを覚えたが、大いなる不安を前に、わずかなありがたさなどすぐに消し飛んだ。
俺は、これから何をさせられるんだ。そもそも、なぜこんなことになってしまったのだ。どうして俺が巻き込まれなきゃいけない?
すべては、今日の昼にかかってきたあの電話から始まったんだ。
#創作大賞2024 #ミステリー小説部門
第2話:https://note.com/noble_knot1/n/nf402c6d458b9
第3話:https://note.com/noble_knot1/n/n630e8cf2d548
第4話:https://note.com/noble_knot1/n/nc9ded75c85b6
第5話:https://note.com/noble_knot1/n/n6beb4bf54a20
第6話:https://note.com/noble_knot1/n/n8147758fdd03
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