【あらすじ】 人でなしだが、優秀な外科医である奈倉礼司。 ある日の昼、奈倉が恋人の茉莉香と食事をしていると、見知らぬ男から電話があり、前妻との間にできた大事な一人息子の栄斗が誘拐されたことを知る。 人間性に問題のある奈倉だが、自分の分身とも言える息子だけには異常な愛着があった。 息子を助けるため、電話の男の言いなりになるしかない奈倉は、指示された廃墟ホテルの一室へ向かう。 するとそこには、手錠で繋がれて動けない状態の若い女がいた。 そして、電話の男は、奈倉に対して無理難題
由香がめそめそと泣いている。 また始まった。いつもの情緒不安定だ。 この女は、ちょっとしたきっかけですぐに泣き出す。まったく、面倒なものだ。本当にうっとうしい。 こんな時、俺はいつも、婚約者として一生懸命慰めてやらないといけない。 週に一度、由香の家へ来て食事をするのだが、このご機嫌取りが大変な手間だ。 この女が精神的におかしくなったのは、小学生の頃、周囲の気を引こうと思って「自分は霊が見えるし会話もできる」と口走ったことで嘘つきのレッテルを貼られ、いじめ
「栄斗っ!」 如月病院での当直を終えた後、犯人から送られてきたショートメッセージに記されていた公園に急いで向かうと、本当に栄斗がいた。ベンチに座って、呑気にハーゲンダッツのアイスクリームを食べている。 報われた。なぜかそう思い、一連の仕掛けを行った犯人たちに感謝すらしそうになってしまった。 赤川健次郎は、予定通り死亡した。早朝の引継ぎが終わった後、如月病院の医師たちと廊下を歩いていると、看護師たちが騒いでいた。赤川の病室だった。 そのまま如月病院の連中とともに
翌日の夜十時。俺は如月病院で当直アルバイトとして働いていた。このまま朝の七時まで勤務することになる。 当直のバイトには、予想通りすんなりと入れた。やはり他のバイトが決まっていたようだが、講師としての権力を使って強引にねじ込んだ。うちの大学からの医師供給を受けているだけに、断ることなどできるはずがない。講師の俺が当直のバイトをすることにはかなり驚かれたが、初心に返りたくなった、という我ながらくすぐったい理由で取り繕っておいた。 当直室で過ごすこと三時間。時刻は深夜一時
荒い息を整えようと意識しながら腕時計を見る。十時二十七分だった。 目の前では、無残な姿と化した真由がひっくひっくと泣いている。当然の反応だろう。髪をすべて失った上、顔に傷まで負ったのだから。 結局真由は、最後まで電話をしなかった。途中で何度も手を止め、電話をかけるかの意思確認を行ったが、真由の口からは一貫して拒否の言葉しか出てこなかった。 三十分以上かけ、髪はすべて刈り、顔に傷もつけた。傷は、せめて目立たないところへと思い、あごの下あたりにつけることにした。今も
部屋の隅で、壁によりかかりながら動くことができない時間が続いた。ちらりと腕時計へ目をやると、九時四十五分を過ぎていた。 俺は善人じゃない。その自覚はある。でもさすがに、見知らぬ女から髪を奪うという行為には抵抗があるし、その上顔に傷までつけろだなんて……。犯人は何を考えているんだ。なぜそこまでして赤川という男を殺したい? やりたいなら自分でやれってんだ。くそが。 心の中で悪態をついてみるが、胸に垂れこめた暗雲は微塵も晴れはしなかった。 その時だった。 「さっきか
「なんだったんですか、今の電話」 坂下真由が、待ち構えていたかのように尋ねてきた。一連の流れをいちいち説明する時間も意味もない。質問には答えず、命令だけを端的に伝えることにした。 「君の名前は坂下真由だな。父親が坂下俊哉。それで、今俺が持っているこのスマホは君のスマホ。合ってるか」 真由は、怪訝そうに、はい、と答えた。 「いいか。今から君の父親である俊哉にこのスマホを使って電話しろ。繋がったら、赤川健次郎という人間を殺害することに協力しろと伝えるんだ。わかったな」
腕時計を見る。午後九時十五分だった。八時五十五分頃にこの三〇五号室へ入ったから、この女の監視を始めて二十分ほどが経ったことになる。 ここでふと、根源的な疑問が沸いた。 「君は、なんでこんなところに手錠で繋がれているんだ?」 女は伏し目がちに涙声で答える。「わかりません。帰宅中にいきなり覆面をした男に後ろから腕を掴まれて、無理やり車に乗せられました。それから目隠しと手錠をされて、何かの薬を飲まされました。そしたらいつの間にか眠ってたみたいで」 「睡眠薬を飲まされた
「つくづく思いますけど、奈倉さんって、三十五歳には見えないですよね。すごく若々しい! 二十代でも通じますよ」 男性は一定のステータスがなければ登録できない、という富裕層向けのマッチングサイトで知り合った茉莉香と会うのは、これで三度目だった。容姿に自信がある女が多く登録していることでも有名なサイトだけあり、茉莉香も見惚れるほど整った顔をしていた。俺の妻になる資格は充分に持っている。 前妻の紗羅の時に思い知った。遊びならいいが、結婚するならばやはり顔だけでなく知性もある程