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大阪府在住.誕生年1994.アカウント作成日2023/10/25.主に哲学・思想に関す…

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大阪府在住.誕生年1994.アカウント作成日2023/10/25.主に哲学・思想に関するnote

最近の記事

混沌の現象学

混沌。例えば、先述の「作用」と「反作用」や「ペットボトルの各部分」は、本来は他方に対して無関係な関係性であるだろう。意識は、そうした混沌を推測できるのみで、直接的に知ることは出来ないが、意識は混沌より概念を定立する。意識は、その概念を通して、諸現象を結びつけて「合理的な法則」や「真なる対象」を把捉する。その概念には、時間と空間の概念、純粋な法則の概念、自由の概念などがある。 それら概念と質感は不可分な関係性にある。概念はそれについての感覚がなければ、その概念として把捉できな

    • 自由と幸福の概念比較

      既にその人が自由であるならば、対象を厳密に修正する必要がそれ以上ないということである。それ故に、自由であることは真である。それが自他に於ける自由なら尚更である。 ならば、自由と幸福は、何が共通して何が相違すると言えるだろうか。両者は高い類似性を備えているように思われるだろう。まず、共通点を挙げるなら、それらは欲望の充足した状態であり、その状態にあるなら、それ以上の修正可能性を持たないということである。そしてさらに、「自由度」や「幸福度」という言葉が示すのは、それらは、欲望の

      • 月と地球の距離の〈厳密性〉について

        我々は、事物より度量衡の法則概念を定立しつつ、それにより事物を測定する。例えば、月と地球の距離を測定する場合、その距離は「約38万km」であるだろう。しかし、その距離は、端数が省かれているため厳密には正確ではない、と言うことができる。 しかし、我々は、常に、無限に厳密に事物を測定するのではなく、欲動に於いて事物を測っている。つまり、欲動がその必要性を満たすまでは、対象は不正確な対象であり、その必要性を満たすなら、対象は正確な対象になるのである。そして、コミュニケーションであ

        • 欲望からみる「種の目的は自己保存である」という主張について

          種の目的は繁殖して子孫を残すことだ、という言説を一度は聞いたことがあるだろう。ありふれた主張であるが、思うところも無くはない。 つまり「種という括りに過ぎない概念が目的を持つのか」「自己保存以外にも生物種に共通することはあるのではないか」「その中でなぜ自己保存を選ぶのか」などと思ってしまうのである。 人は、自然に、概念(人間の視点)を通して合理的に世界を解釈する。ただ、概念は全ての生物に共通する普遍的事項ではなく、その土地・その文化から構成されるものであることを留意しなけ

        混沌の現象学

          ヘーゲル「精神現象学」 A.意識章から見る弁証法的運動

          100分de名著「精神現象学」への疑念ヘーゲルの「精神現象学」は極めて難解な文章が並ぶ。解説本を頼りに読み進めるも中々手強い相手だ。ヘーゲルの精神現象学の意識章の感覚的確信〜悟性の話も極めて理解しがたい。 しかし、序論・諸論と、ここに弁証法のエッセンスが詰まっていると言ってもいい。だが、NHKの「100分de名著」という番組で、精神現象学が紹介されたとき、その意識章がNHK出版のテキスト(番組では放送と同時にテキストも販売する)から丸ごと切り捨てられていた。雑な扱いをされて

          ヘーゲル「精神現象学」 A.意識章から見る弁証法的運動

          「哲学書」と「哲学的実践」の違い

          設計図と建造物の比喩「哲学書」と「その実践」を「設計図」と「建造物」と比べて考えたい。 設計図に於いて記述される構想は、現実に於いて再現される。そして構想に於ける建造物は、それ自体が設計の基準であり、寸分の誤差や瑕疵が無い。設計図上でのことであるから当然である。 しかし、設計図をもとにして建設される建造物には設計図と異なり多少の誤差が生じうる。この実際的な建設物に対して為されるべき批判とは、「設計図を忠実に再現していない」という批判であり、設計図そのものを批判することでは

          「哲学書」と「哲学的実践」の違い

          「論理」は言葉と言葉の隙間に宿る2

          高みから見る「論理」 前回は、「無関係な言葉たち」と「意識」が揃うと、何故か合理的な結論が得られるという話をした。 合理的な結論がどうして成立するのか、それは、まず現場を俯瞰して見なければならない。 俯瞰すれば見えてくるものがあるのだ。では現場にあるものをかぞえよう。無関係な言葉たち(「A=B」と「B=C」)。それと主体としての私。 ということで、現場にあるのはこの2種の関係者だということが分かる。しかし、もう一つある。見落としがちだから忘れてはいけない。それは、「こ

          「論理」は言葉と言葉の隙間に宿る2

          「論理」は言葉と言葉の隙間に宿る

          飛躍する「論理」 本を読むときに、文と文の繋がりに飛躍を感じたことは何度もある。それがなぜなのか、本を読む人間なら一度は考えたことがあるだろう。 A=B B=C A=C これを用いて考察する。以下の話は「ルイス・キャロルのパラドックス」についての話である。本題に入る前の確認のため、知っていれば読む必要はない。 上のものは「❶AがBと等しく❷BがCと等しく➌それ故にAはCと等しい」ということを示す。 ただし、この論理には飛躍が含まれている。とくに、前提❶と前提❷か

          「論理」は言葉と言葉の隙間に宿る