見出し画像

欲望からみる「種の目的は自己保存である」という主張について

種の目的は繁殖して子孫を残すことだ、という言説を一度は聞いたことがあるだろう。ありふれた主張であるが、思うところも無くはない。

つまり「種という括りに過ぎない概念が目的を持つのか」「自己保存以外にも生物種に共通することはあるのではないか」「その中でなぜ自己保存を選ぶのか」などと思ってしまうのである。

人は、自然に、概念(人間の視点)を通して合理的に世界を解釈する。ただ、概念は全ての生物に共通する普遍的事項ではなく、その土地・その文化から構成されるものであることを留意しなければならない。

人間の間でさえ、同じ概念を用いていても、対象となるものが人によりバラつきがでるものである。たとえば、二人の人が「青色」を考えるとき、その範囲は異なりうる。日本人は、信号機の進行可能を示す色も「青色」と考えるのに対して、日本文化をあまり知らない外国人は日本語の「青色」を考えるときには、別の範囲でとらえるだろう。

概念は、現実を、その人にとって合理的に整理するがそれだけある。概念は、人の間でさえ普遍的ではない。

「種」・「目的」の概念は全ての個別具体的な生物に目的を与えるというワケではなく、その人(その人たち)にとって、自己保存という目的を持っている生物種が現れるよう見せるだけである。つまり「見たいように見ている」だけであり、根拠がない。ゆえに「種の目的は種の繁栄だ」と思う人もいれば「種の目的は破滅だ」と思う人もいる。そこでは、種の繁栄のために繁栄に背くものを破滅させているという考え方や、種の破滅のために種を繁栄させているという観点も考えうる。何にせよ、「主語が大きすぎる」という批判は、ある意味で正解なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?