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ひさびさにしてみたこと 2024/07/20

昨日の夜、ひさびさに、特に違和感が無かったので、体重計に乗ってみた。

普段は、むしろ「乗りたくありません」「(見たら)囚われるので」「(上に想定外だった場合)逆に過食に走るので」と思っている自分に気付かないように、つまり二重の意味で避けているので、基本的に体重計には乗らない。

少し過去の記憶をたどってみると、逆にめっちゃ軽いときは乗ってたなと思った(笑) でもそれは遥か彼方昔の話であって、たぶんあの体重にはならないと思う。・・・といいつつ、健康的になれて、無理なく維持できるならなりたいかもしれない。煩悩が捨てきれないらしい(苦笑)

まぁ、そんなこんなはさて置き、昨日の夜は体重計に乗ってみようと思った。で、実際に乗ってみた。そして体重は、というと、わたしの想像よりは軽かった。でもその想像は、「もしかしたらそういうこともあるのかもしれないけどでもその体重は嫌だ!」な体重のことであって(つまり想定のMAX)、軽くは無い。つまり、逆にピッタリ過ぎる・・・・・・・くらい想像通り・・・・・・・だった。だからまたまた逆に、自分の感覚の良さに感動した。

話が逸れていくので脱線している話を元に戻したい。今日は、「ひさびさに体重計に乗ってみた」ということをメインにnote書いているのである。わたしはこの現象を、『現実を直視する気になった』と受け取った。だから、地味に結構嬉しかったし(だからnoteに書いているのだし)、これは大きな変化だと感じている。体重のみならず、何事も、まずは現実を直視することからしか始まらないからだ。

1度乗ったからといって、毎日体重計に乗ろうというのではない。でも、今の自分の現状を知ることができた。それが大事なのだと思う。苦手なことゆえ自己採点が甘すぎるように思うが、苦手なことほど認めることが大切だと思うので、承認をたくさんして、今ここにいるわたしを大切にしたい。

わたしは、思考の判断における調子のいいところ/調子のいいときは生き急いでいて、調子の悪いところ/調子の悪いときは先延ばしにしている。実は、めちゃくちゃ現状を見るのが苦手だ。でも、そこを見るしかない。見て、見えた現実をもって、見る、知る、感じる、認める、受け取る、許す、愛するを体感・実践していく(しかない)。そしてそれの(ら)の対象は何かに限られたものではなく、すべてに通じるのだ。



2024/07/20 (172/366)


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