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ぼくらはみんな生きている 2024/04/12

harmonyを眺めるのが好きだ。この世界に流れる森羅万象のめぐりを感じるのが好きだ。そもそもそうであると感じることが好きで嬉しい。嬉しいから好きで、好きだから嬉しくて、何だか幸せになってしまって、満ちてしまうからそうやっているといつのまにかわたしはとけてしまう。このとけてしまっている状態をきっと「ぼ───っとする」と呼ぶのだと思う。

満ちている感覚にとけているとき、自他の境界線が自然となくなり、繋がっていることも意識しなくなるんだけどもっとも美しく繋がっていて、調和の中に静寂と静かな情熱みたいなものが分離できないくらい微細なmarble模様がさらさらと流れている、その中にただいてたゆたっているような感覚になる。言葉にするならたぶん、至福とかそういう類のものになると思われる。これを書きながらとけているので(というからとけながら書いているので)、なんどもとけかけては戻り戻ってはとけかけていて、地味に大変だったりする(笑)

世界は関係性で成り立っている。全部の物事の間に関係式がある。その美しい旋律のなかで、世界は常に響きあって影響しあってダンスしている。その粒の振動の中に全てはあって、その振動がヒト・モノ・コト、そしてセカイなどの単位事に調和した音を出している(出しているというかそうあるという感じ、そもそも音と振動は同じものの違う表現)。調和×調和×調和×・・・♾、というのがこの世界の美しすぎる構造で、それを絵に描くと曼荼羅とかフラワーオブライフみたいな神聖幾何学になるというだけのことだと思っている。

神聖幾何学の一部が具現化したものがピラミッドとかモスクとかその他もろもろそういうもの(ぼかしておきます)。世界がそうあるということは、実は目に見える形でメッセージとして表されている(前兆 byアルケミスト)。

なんとなく、今日はこの辺で。
また気が向いたらこういうのもかきます。



2024/04/11 (101/366)


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