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転職によるキャリア形成

2002年に社会人になってから、この18年間あまりで7社で勤めてきました。6回も転職する人は日本ではかなりの少数派だと思いますし、海外でも若干、多い方だと思います。

普通に考えると社会不適合者ですし、「こいつ、長続きしないんだな」と思われても致し方ありません(笑)

ただ、私にとって転職は自分のキャリア形成には必要なもので、意図的に多くの企業で働いてきました。

そこで、今回は転職を通じた私のキャリア形成について書きたいと思います。

私の「転職思考」のルーツ

『お姉ちゃんが産まれて家に帰ってきたらお父さんがいきなり「会社辞めてきた」と言ってきたのよ』

幼少の頃、母から聞かされたこの話に当時の僕はなんとも思わなかった。というか、これがどれほどインパクトがあることなのかを理解していなかった。

また、父は昔からよく「大学を出るまでに200種類以上の仕事をしてきた」と言っていましたので、恐らく私の中で「終身雇用」という概念がそもそも芽生える土壌がなかった気がします。
いろんな仕事をすると世の中が見えてくる。そして世の中が見えてくると、どこで稼げるかがわかってくる。だからいろんな仕事(バイト含む)を経験するんだぞ。

学生時代で決めたライフプランが甘かった

中学生の時に医者になると心に決め、高校から医療の先進国であるアメリカに単身留学しました。しかし解剖の授業がどうしても生理的に耐えられず、医者になることを大学生になって諦めた私は、卒業後は中国で仕事を探すことを決めました。

当時、西洋医学と漢方医学のハイブリッド型治療を日本の病院で浸透させようと考えており、漢方薬の卸業につながるパイプを作るために中国で仕事しようと単純に考えていました。しかし、行政のハードルなどに直面し、中国行きが9割確定していたにもかかわらず、先方にお断りを入れ、急遽、日本での就職活動を始めました。

大学卒業後、2ヶ月以上も経ってから急遽、将来のキャリアプランの変更と「就職活動」の再スタートを余儀なくされました。

卒業直後の焦りと挫折

医療の道が厳しいと分かり、日本で就活をスタートした私は英語が活かせる募集案件をメインに遅咲きの就活をスタートしました。しかし大した目的意識もなければ志望動機も曖昧な私に、1次面接通過の連絡が入ることはありませんでした。

ありとあらゆる業種に応募しては書類で落ち、書類選考が通ったと思えば面接で落とされというサイクルを30社以上続けていくうちに、心もだんだん折れてきました。

英語も日本語もネイティブレベルで話せる俺になぜ仕事が見つからないんだ?

「早く就職しなきゃ!」という焦りと、断られ続ける心のダメージで、自分に対する自信が揺らぎ、落ち込みながらもどのような仕事について、どんなキャリアプランを描くべきかを真剣に考えました。

そして闇雲に応募するのではなく、何かフォーカスを持って就活した方がいいのでは?と考えるようになり、我ながら浅はかではありましたが生活の三大要素である衣食住に絞って就活することを思いつきます。

実家がアパート経営をしていたのと自分が長男だったこともあり、家業を学ぶためにもまずは衣食住の「住」である不動産屋に的を絞りました。

会社選びの基準の確立

この最初の就職先選びで私の中では既に転職思考が明確にありました。内定をいただいた会社の中で、3年以内に不動産の賃貸業を最も学べるところにすることを決めていました。

そして大手と地元の小さい業者さんから幸にも内定をいただきましたが、あえて色々任せてもらえそうな小さい町の不動産屋に行くことを決めました。

家族からは「なんで大手にしないの?」と言われましたが、大手だとワンオブゼム(大多数の中の1人)にしかならないし、2~3年で営業と管理を学べる組織体制ではないと面接を通して感じていたので、私の目的とは合致していませんでした。

- この会社で3年働くと何を学べそうか?
- 将来、自分が描いている生活スタイルと水準を達成するために「今」必要なスキルと経験は得られそうか?

目先の年収にとらわれない転職思考

最初の不動産屋では小さな支店を1年で運よく任され、2年経ったタイミングで社長から更なる昇進の打診がありました。しかし、当初から「2~3年で賃貸業を全体的に学べる会社」として入社しており、入社当初から営業も管理も任されていたため、既に賃貸で学べることはほぼ無くなっていたため、転職することを決意しました。

次に選んだのは外資のサービスオフィス業で世界最大手のところにセールスマネージャーとして入社しました。ここでは1年以内にクライアントから引き抜かれるよう頑張ろうと心に決め、半年過ぎたあたりで小さなコンサル会社の社長に「うちに半年でも1年でもいいから事業戦略の勉強しに来ないか?」と打診がありました。

当時、基本給+歩合でしたが、そのまま働いていたら得られた推定年収よりも200万以上下がる提案でしたが受けることにしました。

ここで天秤にかけたのは目先の200万円とコンサル会社で得られる市場調査や事業計画、戦略立案などの経験でした。

そして当初の目的であった経験を積み、次のステップに進む決意をするわけですが、ここでもやはり年収で仕事を選ぶことはありませんでした。では、その判断基準とは?

大手よりも中小や2番手以下を選ぶ

コンサルで市場調査やマーケティング、事業計画や戦略立案のエッセンスを学んだので、実社会でそれらの経験を最も活かせそうなコンビニ業界への転職を決意しました。

最大手はキャリアパスがほぼ決まっている

何社か受けた中で、やはり最初の不動産会社の時の同じで大手は大体、キャリアパスが決まっていました。

現場・店長(2年程度)
⏩ フィールドコンサルタント/スーパーバイザー(3~5年)
⏩ 商品部のバイヤーやマーケティング部

ただ、私の中では既定路線でキャリアを積むつもりもなければ、マーケティングや事業戦略(経営企画)に携わりたかったので大手では希望が叶えられませんでした。そこで、当時業界8位前後であったベンチャー感が最も強い会社に決めました。

そして、入社当初から人事にキャリアプランの希望を何度も伝えていたら、入社3ヶ月で新業態開発本部に異動となり、そこから役員直下の開発プロジェクトチームでいくつかのチームを渡り歩くことになりました。後に、仲の良かった人事部のマネージャーから

「君みたいに半年ごとに役員から指名されながら部署異動になってた社員は見たことがないよ」

と言われましたが、これは大手ではなかなか考えられないことではないでしょうか?

業界最大手じゃない強み

前述の通り、業界最大手ではない企業だと、常に新しいことにチャレンジしなければなりません。そこには必ずいくつかのプロジェクトが立ち上がりますので、しっかりと仕事で結果を出していればプロジェクトへ参画するチャンスに巡り会えることが大手よりもあると思います。また、最大手だと大勢の中で目立つことはかなり難しいため、こういったチャンスはなかなか訪れません。

業界で中堅の弱み

一方で業界で中堅企業に勤めると、M&Aの危険に晒されたり、新規事業などに投資するお金がなかったり、残業代が支払われなかったりと、いろんなリスクもあります。なので、中堅で働くためにはある程度の「覚悟」が必要ですし、長くいることはあまりお勧めしません。

入社前に自分の中で「この会社で何を学び、どのような経験値をいつまでに習得する」かを明確に持ち、入社後はその当初の目標を柔軟に変化させながら成長し続けるイメージを持つこと

最後に

日本では企業に終身雇用という価値観はだいぶ薄れてきましたが、転職回数は多ければ多いほど、応募先の人事に懸念されることは間違いありません。

闇雲に転職を繰り返すと当然ながらジョブホッパーのレッテルが貼られますし、書類選考で落とされやすくなります。

このように転職思考は諸刃の剣ですが、しっかりとアウトプットの質と量を高いレベルで出し続ければ、町の小さな不動産屋から時価総額が世界のトップである企業のリージョンマネージャーまで上り詰めることも夢ではありません。

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