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即興哲学

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即興哲学 各回まとめ
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記事一覧

フィクショニズムの台頭

模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創り出す 模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす 目指すは極楽大往生 逝けば花道 桜の美 あの日にはもう戻れない それでも良しと踊り明かそう 天国地獄はありゃしない 恋も地獄もどんと来い 見える景色も感覚も すべては嘘のはじまりさ 模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす 模倣が模倣を生成し さらなる虚構を創りだす この世は幻 すべて嘘 嘘は虚構のはじまりさ はじめもおわりもありゃしない あるのは惰性と無の世界 模倣が模倣を生成し 

What I really want to do

Hawks:herahera Colstar:cool-headed Saddy:pessimist Oject:optimist Anjera:angry H "So, all right, everybody. Today we are going talk about what I really want to do." O "I want to change the world." H "OK, tell me your opinion." O "Now the

How to mix the salad bowl?

How to mix the the salad bowl, what should we do? We have an issue that must be addressed before tackling this problem : is interaction necessary within a community? My answer is "Yes". Imagine the case: if the community has no interactio

迸る雷鳴:半自動記事生成

User 「迸る雷鳴」というタイトルでできるだけふざけた記事を書いてみて。とにかくこの記事を見た人が面白い!!と思えるような記事をかいて。笑ってしまうような。 chat GPT 地球の大気圏を彷徨う雲たちよ、彼らの中には決して言及されない不満が渦巻いていることをご存知ですか?そう、今回の話題は雷鳴の正体と、その裏に隠された雲たちの秘密です! 一般的に雷鳴は、雲の中での水滴や氷の粒子が衝突することによって発生しますが、その背後には時にはコミカルなドラマが隠されています。そこ

感情とはとはとは

喜び 悲しみ 好き 嫌い 安心 怖い・不安 驚き 怒り 退屈 悔やむ 傷つく 感動 興奮 緊張 心が乱れる すべて、異なる感情なのだろうか? —否。 そうではない。 あさまし これは驚きあきれるという意味だった。 言語は後天的なもの 感情は先天的なもの 感情を抱きそれを言語に表す。 —いや 言語があるから私たちは感情を抱くことができるのだろうか? 喜びと言う言葉を知る前の私たちは何を知っていたのだろう? 大まかな感情を上に挙げた。 本当に? これだけしかないのか。 感情

広辞苑

ここにありまするはかの岩波書店出版の広辞苑でござい。 目下のところ私がこれまでに目にした中で最も分厚い書物であり、恥を承知で申し上げますと使いようによっては凶器にもなりえるしろものでございます。最もそのような使い方をするものがいないことを願いますが。 印刷された最後の頁数は2858。今その大作が目の前に在りまする。ここで私はふと思ったのです。いえ、これは極端で、偏見のこもったものであり、空想であることは重々承知です。しかし、こう考えたら面白いのではというものです。この書物に日

星の動きを知覚したい

日々私には考えていることがある。 なぜ人は二分法で事象を捉えたがるのだろうと。これは以前記事にしたプラスマイナスの哲学の内容と大いに関わりのある問いだ。 好きか嫌いか。善いか悪いか。共同体に所属しているのかそうでないのか。 右か左か。 人はなぜこうも物事をどちらかでしか考えないのか。 そんなある時私は夜独りでこんなことを考えながら歩いていた。ふと何となく空を見上げた。その日は雲一つなく、寒い日だったことから星がよく見えた。星座に詳しくない私でもオリオン座を見て取ることができ

望言命法 後編

では好ましい望言命法、つまり頭の中に「~したい」という欲求が浮かんで来た際に何でもかんでも従うのはまずいから、従うことが好ましいと思われる望言命法を一般化して考えてみる。 尚、あくまでこの記事を書いている「筆者」の考えるペルソナは毎日物的には満たされている者の精神的には満たされないような人間に対してであり、今日明日の命で生きることで精一杯という人に向けたものではない。(もっともその人たちも「生きたい」という望言命法に従って生きているのならそれに越したことはない) 加えてそも

望言命法 前編

カント倫理学において根本的な原理として定言命法がある。 カントは道徳(無条件で行われる善)を「もしお金が欲しいなら仕事をせよ」という仮言命法と、「仕事をせよ」という「~なら」を除いた定言命法という2つの命法に分けて説明した。 「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」格言として扱われるカントのこの言葉。おそらくこれは定言命法に従って、つまり良心の絶対的命令に従って毎日行動しましょう的なことを言っていると考えられる(間違っていたら土下座)。

反復

人間が好ましいと思いする行為は常に反復である。 ゲーム、スポーツ、アート、勉強、食事、趣味、戦争、自慰行為、性行為、読書…… 形としては同じ作業をしているにすぎないにも関わらず人間は嬉々としてそれらの作業に取り組む。 なぜなのだろう。 単純に考えれば快楽を求めているからというふうに答えることができる。リビドーまたはそれに類似した抑えきれない衝動が生じる→慣れる→忘れる→生じる……を繰り返して人間は何度も何度も挙句の果てにはなぜそれをしているのか(目的)も忘れてその物語に乗じて

論理的思考

論理的思考、ロジカルシンキングなどという言葉が世に溢れている。 「論理がなってない」 そのようなことを言うもしくは言われた人は少なからずいるのではないか。 だが、論理がなっていないとはいったいどういうことなのか。 論理的思考ということばがあるということは論理的でない思考があるということ。 ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったが、では女になる前の女は一体何だったのかということをバトラーは指摘したのであって。 これと先に言ったことが同等かと言われる

なぜ人は家をもつのか?

現在、地球の陸は建物で埋め尽くされている。 そのうちの大半は住むために作られたものである。 今回はマンションやアパートも含めた家の機能というものについて考えてみたい。 家をもつということ。それはその周辺の地域のコミュニティに参加することを示す。(積極的に自治会などに参加するしないは置いておいて) 家は時に心の拠り所となる。しかし、場合によっては家が重しになることもある。生活圏が家に規定されてしまうということだ。 家は人間の行動範囲を規定する。旅行や遠足という概念は「帰る」

なぜ人は居場所を欲するのか?

居場所。多くの人々は居場所を求める。 ここでいう居場所は自分の存在を確認できる場という風に定義する。 従来より人々は様々な居場所を構築してきた。家、学校、職場。果てはネットのコミュニティ、SNSなど。こうした居場所を人々が構築するのはなぜなのか?それは本能的なものなのか。今回はそんなことを考えてみたい。 場所と人 精神と身体が密接に関わっているように、内界と外界も密接に関わっている。どのような形であれ自身がその場に表出していることが自尊心を充たす上での一つの手段になり得

目玉焼き

私は朝ではなくあえて夜に目玉焼きを食べる。初めて夜に目玉焼きを食した際、朝でも夜でも味は変わらないのだと、至極当然のことを感じた。 そんな目玉焼きを焼いている間にふと、目玉焼きについて考えてみたくなった。 目玉を焼いて食べる 「目玉焼き」に不足した文字を補うとこうなる。 我々は目玉焼きという言葉をさも当たり前であるかのように使うがその実恐ろしい言葉を発している。 あの見た目で目玉という動物の目玉という本来の意味が失われ「目玉焼き」と名詞化させることで目玉焼きを目玉焼きたる