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反復

人間が好ましいと思いする行為は常に反復である。
ゲーム、スポーツ、アート、勉強、食事、趣味、戦争、自慰行為、性行為、読書……
形としては同じ作業をしているにすぎないにも関わらず人間は嬉々としてそれらの作業に取り組む。
なぜなのだろう。
単純に考えれば快楽を求めているからというふうに答えることができる。リビドーまたはそれに類似した抑えきれない衝動が生じる→慣れる→忘れる→生じる……を繰り返して人間は何度も何度も挙句の果てにはなぜそれをしているのか(目的)も忘れてその物語に乗じていることもある。

また、ある事象がありその事象について考えているだけで楽しい心持になるという場合がある。ここでもやはり人は反復を楽しんでいる。何度も何度も同じことを繰り返している。飽きるまでずっと繰り返す。
例えば好きな映画があるとする。好きな映画は何回見ても飽きない。このあとどのような展開が来るかはもうわかっている。しかし見る。この先どうなるのかわかっているが見る。
なぜか。
快楽のほかには支配。いや、確実性による安心感。といったことが考えられるのではないだろうか。不確実な予想がつかないことがあるとそれは人間にとって良いことである可能性もあり悪いことである可能性もあり得る。だから、そんな不確実なことがあるよりは、既に良いと知っていること(それが刺激であれなんであれ、良いものは不変に良い)を繰り返すことは至極合理的である。と考えられる。おや、今しがた私は産業資本主義の工場を想起した。あれももちろん反復。いつしか人間はその反復に飽きてしまったため、ともにパンを作ることに飽きてしまったため、機械に特定の作業を代行してもらうようになった。効率を上げようとすると、一連の作業はやがて複数人に分担されるようになり、その先には作業には人間の手が加わらないようになり、あっても商品の最終チェックの作業くらいなのだろう。
私もこうしてものを毎日のように書き続けている。50%の義務感と50%の能動的欲望によってこの作業を遂行している。いや、76%の能動かな。

つまるところ、人間は永遠に作業をする生き物でありその作業に飽きて解放を望むようになり、その作業から解放されるような機会(自動化してくれるものの開発とか)が生じた際にそれをイノベーションだとかいって持て囃すのではないか。なんだか矛盾しているような、荒唐無稽な者にさえ思えてくる人間の愛おしい一面が作業には垣間見えるのである。


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