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論理的思考

論理的思考、ロジカルシンキングなどという言葉が世に溢れている。
「論理がなってない」
そのようなことを言うもしくは言われた人は少なからずいるのではないか。
だが、論理がなっていないとはいったいどういうことなのか。
論理的思考ということばがあるということは論理的でない思考があるということ。
ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったが、では女になる前の女は一体何だったのかということをバトラーは指摘したのであって。
これと先に言ったことが同等かと言われるとそうでもない気がしないでもないが、とりあえず同じと言うことで先の例を格好つけて挙げさせていただいた。

さて、話を戻そう。因みに私は間違いなく論理的でない思考が根底にある。論理的思考とは後天的なものなのか先天的なものであるのかは私にはわからないが、後天的なものであったとしても、若いうちにどのように学びに対してアプローチしてきたかでそれは決まるのではないかと私は考えている。

ここで一つの問いが浮かんだ。論理的でない思考とは何なのだろうか。論理的思考については世に五万とそれに関連した本が溢れているから、(溢れすぎて方向性がぶれている書も多々見受けられるが)それらに論理的思考の説明を任せるとして。ここでは論理的でない思考について考えてみたい。
以下論理的でない思考を直感的思考という。

脈絡のない言動

直感的思考を具現化するものとして、直感的思考に生きる者の脈絡のなさが挙げられる。
例えば直感的思考を持つ者が「なぜ、君はその行動に至ったのか」と問われても「いや、ええと……なんとなくです」と曖昧な返答しかできないだろう。考えるプロセスはそこには存在しない。いや、存在していたのかもしれないが、あまりにも短い時間の中でその行動までの意思決定が行われたために直感的思考を持つ者は認識ができないという訳だ。もしくは本当に何となくで選んでしまったかのどちらかだ。(だが、実際は何となくではない)
これはアスリートや芸術家の方に必要な思考だろう。無論、論理的思考が必要ないとは言わない。しかし、1分1秒を争うあのフィールドに論理的に考える暇があるだろうか?真っ白なキャンヴァスに直感的思考なしに絵の全体図が頭に舞い降りてくるだろうか?
スポーツや芸術に限らずとも我々にだって直感的思考が求められるシーンは多々ある。

直感的思考も必要

直感的思考は欲望と切っても切れない関係にある。最もわかりやすいのは食欲だろう。何を食べるかについては考える余地があることから論理的な思考は介在し得る。お腹がすいたと思うことは直感的思考だ。論理的に考えたからと言ってお腹はすかない。
直感的思考が求められるシーン。これに関しての例を挙げるならば善悪の判断が最もわかりやすいものではなかろうか。トロッコ問題を論理的に解くことはできない。最終的には善悪を測る基準が必要になる。そしてその善悪は直感的思考によって判断される。この場合は良心と言っても良いかもしれない。

直感的思考は誰しも持っているが、論理的思考はあくまで人間に秩序立てられたポイントを通過するか否かによって論理的思考と見なされる。そしてその2つの思考の割合も人によって異なる。

と、今回はおおよそまとまりのない感じで(直感的思考で)直感的思考について考えてみた。
私はひたすらに直感的思考の赴くままに生きていきたい。論理的思考はちょっと疲れるから。
そしてなにより大阿呆なのだから。


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