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「私はそうは思わない」と言ったとき。

「子どもの権利を守る」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

毎日遠くまで水をくみに行く子どもの姿か、兄弟の面倒を見るからと学校に通えない子ども、または大人と同じ危険な労働をする子どもたちか…

私がかつて総合の授業や道徳や社会科で学んだことは、どれも確かに現実にある。でもあの時は、なんだか遠い話のように感じていたのも事実だ。

今回、練馬区江古田にある「ぼっとう&よはく」https://bottou489.com/さんで開催された「子どもの権利条約ハンドブック ゆるゆる読書会」に参加させていただいた。

以下、本の内容を一部抜粋する。

 だれもきちんと答えてくれないから、クラスの壁新聞係になったとき、いろいろ調べて、ぼくなりの答えを発表したら、先生に「こういうことを書いてはいけない」と、やぶられた。                       どんなことを言ったり、したらよくて、どんなのだといけないのか、ぼくにはぜんぜんわからない。心の中で思ったり、考えたりすることまで、先生やお父さん、お母さんの思ったとおりじゃないとダメなの?                            引用:子どもの権利条約ハンドブック 3‐1自分の考えを持つ権利 より

本の中でこの文章を読んだとき、こんなふうなことあった!と、はっとした。なにか考えを発言したり発表したことに対して、とくに理由もなく「こういうことはだめだ」と却下されたことが。

と同時に、権利が守られない状況はこんなに身近にあるということに改めてこわくなった。学校だけでなく家や塾でも、こういったことはたくさんあるかもしれない。私も教員という立場に立ったことで、うっかり権利の侵害をしているかも。

主催のざまたかこさんのお話のなかで、「子ども本人に問う」ことが一番大切だったというエピソードを聞いた。

子ども本人に問い、その子自身の考えを大切にする。

そんな当たり前のことが、「子ども」というだけで十分に守られないことが多い。たとえ足りないことが多かったとしても、その時その瞬間その子が考えたことを否定する権利は誰にもない。

私は看護の世界から教育の世界へ入った。看護とは、「患者さんの考えを大切にし、寄り添う」ことだと感じているが、今、学校現場で私が大事にしていることも変わらない。変えたくない、と思っている。

しかし、学校の先生という立場の大変さも最近わかるようになってきた。先生たちは、子どものことを思うあまり、「いや違う、こうしたほうがいい」とか「それはやめてこっちにしたほうがいい」とか正義をついつい言ってしまうのだ。これが、先ほどの自分の考えを持つ権利を真っ向から侵害しているとは言わないが、まずは一度受け止める余裕をもってほしいなと思う。

そしてこの 自分の考えをもつ権利 はもちろん大人にも当てはまる。誰しも自分の考えがあり、意見を伝えられる。大切なのは、意見や考えが違うからと言って、相手を傷つけることは許されないということだ。


子どもの権利条約   https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

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