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私は世界に風呂をさがしにいくつもりである

徒然草は得意です。


まずは自己紹介というか自己評価から。
私は大学3年生。来年1年休学しようとしてるモラトリアム人間
公務員の両親に育てられた一人っ子。気に入ってる言葉はわんぱく。というか私をひとことで表すならわんぱく。そう言い当ててくれた方にかなり感謝してる。
食い意地がすごいのとかなりずぼらで雑。
ある程度のことはそつなくこなすけど自己評価低め。
人と関わることとか人にめちゃ興味ある。お節介を焼くこととそれが役に立ってたら心でほくそ笑んでる。

大学生活はかなりを部活動にもっていかれ、マネージャーという立ち位置のせいでやや不完全燃焼。
なにが不完全燃焼か。選手の近くでサポートできるもんだと思ってたらどうしても越えられない壁があった。ある選手は当たり前だろうと言った。私はそんなことないと信じたいけどなにせ同じ空間にいても同じ時間(試合とかノックとか整備とか)を過ごしてないから難しいのかもしれん。悔しい
就活をしたくない。スーツをきて他の人たちと一緒に評価されたくない。きっとその方法じゃ私はなんの価値も示せないから。負けるのが怖いともいえるね。
そして自分のポテンシャルを信じたい。私なんかを尊敬する人リストにあげてくれる人がいてたっくさんの人に支えられて生きているからもっとそうされるに相応しい人間であったらいいのに。

前置きが長くなってしまったけど休学の話をしよう。
今まで大学生でやりたいと思ってたのにできなかったことを全部やる1年間にしたいなあと。いわゆるギャップイヤーというやつです。
漠然と3年春から言い続けて早7月も終わりに差し掛かり💦
就活を着々と進める友人を横目に焦りを感じだし、準備を進めてみようと思う。まずは気持ちの整理から。

実は意気込んで日程を決めちゃったりしていて
ざっくり前半海外旅行、中間日本(予定うまってる)、後半日本旅行そんな1年にするつもり。
そんな私がどうして一年休学をするのか聞かれ続けて考え続けてようやく言語化できるものを現段階で残したいというのが今回のノート


休学したい理由


冒頭でも触れたようにたくさん経験したいから。
大人になりたくないから
大学生活を謳歌しきりたいと考えているから
無料で大学という人生の猶予を得ることができるから
人と違っていたいから
自分の可能性を見つけたいから
逃げたいから

箇条書きで何も考えずに書き出すとこんな感じ。↑
人生は他人に期待される自分像を実現するために送るものではなくて自分のしたいことを実現するもの。舞台もすぐ整えられる。
逃げることができるのも私の強みの1つだって教えてくれた人がいる。俺は耐えることしか出来ないからと。私には選べる道がある!!!

私の今のホットワードの備忘録(将来の黒歴史)を小見出しにしてみてどの由来とか思いを徒然する形式で進めていく。↓

「世界のフロをさがしにいきたい」


 私がずっと心地よい自分の居場所を求めている。

居場所とは_____
しっくりくる。自分がいるべき、いても大丈夫と思える空間。
守られて、なおかつ守りたいと思える。安心できて自分が戻りたいときに存在してくれている。そんな感覚を持てる場所

それが私の定義。贅沢だけど要素としてはそんな感じ

一般的には地域だったり部活だったり、家だったりネットだったりするのかもしれない。私は彼氏絶賛募集中という言葉を一日10回以上言ってんじゃないかっていう日もある(笑)
けどきっと彼氏という存在が私の居場所にちょうどいいと考えているから。
自分だけの自分がここに存在する理由。
 
結論から言えば、私は居場所がないという感覚がある。
遊んでくれる友達もいるし属しているコミュニティも立ち寄ることができるプラットフォームもなんならそこらの大学生より持ち合わせて入るかもしれないけど、「「「これだ!」」」って感覚はない。むしろ孤独を感じることが多い。前述した部活動なんかもそう。私はそこにたしかに存在するけど別にいなくたって代わりは誰でもなれるしなんなら必要ない。そんなことに悩んだときもあったけど安倍さんが急に亡くなっても世界が回るんならきっとそういうことなんだろう。ここに自分がいなきゃいけないって思い込みは自己満足。それでもいい。
敢えて”これだ!感”という言いかたをするけど、これだ!感は風呂の間隔でいくと足湯なのか実家の浴槽なのか、温泉なのか熱いのか冷たいのかなどなどけっこう違う。私はめっちゃいいフロを探しに行きたい。それも世界を対象にして。
つまり自分のいるべき場所を追い求める旅がしたい。いわゆる自分探し?この言葉を使うと一気にちゃちくなるからよしてほしい。
自分を探してるんじゃなくて自分を生かせる場所を探すって感じ。賢い人よ、両者に違いはありますよね?

もしかしてこんな風に今いる場所が居心地がわるいなんていったら今まで私に関わってくれた人に失礼かもしれないっておもってた。でもある先生が逆だよって教えてくれた。
私がこれまでの20年の人生の中でいろんな居場所をしって感覚をつかんできたからこそ今、違和感を感じられているんだと。
そんなことを書きながら過去を思い返していると、むしろ失礼って思う人がでないくらいにしか関わってこなかったんじゃないのかなって不安になってしまう。このネガティブマインドもどうにかしたい。

百姓になりたい

大学2年生のときにアートの授業の中で紹介された自給自足しているアーティストの話。彼は百姓を目指していた。その動画をみて私はめちゃくちゃ共感したことを覚えている。なにを、までは覚えていないけど。

百姓のすごいところはなんでも自分でできるところ
個人的に 百姓=自給自足で最悪一人でも生きられる人
”最悪”とつけたのは、私はもうすでに人は一人では生きられないことを知っているから。でも一人にならなきゃいけないときもある。その含みを込めておいた。
ネットで調べたらいろいろ出てきちゃうしこなせてしまう世の中で、調べて見つける力ももちろん大事なんだろうけどもともと持ってる力というか知恵が欲しい。

常識人になりたい

これも以外と説明が必要。最近「多様性ってなんだよくそお」って思うことがあった。文化が違えば考え方も違う。今の社会にホットワードはLGBTGI……わからんけど男女のくくりとか、恋愛対象が誰か、恋愛をするのかとかいろんな考え方の人がいるよねってことになってる。
でも例えば夜のお仕事は悪いとか あとはなんだろ、正社員になるのが正義とかなんかかたっくるしい何の根拠もない話。あとはSDGsだ。綺麗事にしか聞こえない。誰1人取り残さないっていい方は誰か取り残されているという一種の差別さえ感じさせるってこれまた大好きな先生が言ってた。
特にジェンダーとかは多様性っていうくせにそこに名前を付けてる時点で自分で括って一生打ち解けられないようにしている感じがする。

みんな自分の”正しい”もしくは”常識”を強要しがち。結局は自分のものさしででしか社会を見ていない。
人の数だけ”常識”もあっていいはずなのに。

私はそこらへんの考え方の違いに緩いというか違うことに対して違和感を持たない人間だからこそかもしれないけど、本とか世の中に適当にころがってる常識じゃなくて人の数だけある常識を飲み込んだ人になりたいなって思う。そして疑える人になりたい。

おもしれえ人間でありたい

私のコンプレックスの一つがおもしろくないこと。
小中学生の時はまじめすぎて遊んでこんかったし、高校生の時は空気をしらけさせる担当(?)だったし大学生に入った今は心地いいけど私がいないほうがたのしそうだなあとか、結局呼んでもらえないなあ、とかかまってちゃんをこじらせている。

そんなエピソードあったの??とか修羅場くぐり抜けてきてんじゃん、とかなにかしらの武勇伝が沢山ある人ってなぜか魅力的に見えるんだよね。
なぜっていうかそれだけ経験を積むことで人間を磨かれてる気がするから。

私が本当に平凡に何不自由なくこれまで生きてきた。だからぶっ飛んだエピソードなんかない。自分を過小評価しがちやね、とも言われる。
そんな話をしたら私の20年は決して無駄じゃない。今の私がそこにいるんだからっていってくれた尊敬してる友達。確かに過去の価値を再発掘する必要はありそうだ。これはきっと世界で出来そう。
それでもまだ、みんなびっくりするような体験をしてるおもしれえ人でありたい。

ここで大事なのは面白い人じゃなくて”おもしれえ人”であること。違いはなんとなくの語感が感じさせるぶっ飛び具合(笑)

死ぬとき「あいつ死んじゃったのか」って思われる人でありたい。

ここまで書いてくると自分が分かってくる。とんでもない自己中人間だということ。
いつまでたっても自分を認めてもらいたいんだなあ。みんなの記憶の中にすこしでも私があれば幸せ。誰かの人生という道の分岐点とまではいわないけど脇道で手を振ってくれたくらいの登場ができたら嬉しいな。それもできるだけたくさん。
承認欲求は捨てろってずいぶん昔のお偉い人が言ってたけどきっと皆わかってる。無理だって。この世に生を受けたんだから生きた証明をしたい。
もし私を生んでくれたのが神さまだから神さまのために生を全うしなさいっていう人がいたとしたら、神様のために生きる役割はあなたにあげるから自分のやりたいことやらせてくださいって言うと思う。

肩書のいらない自分を手に入れたい。(けど肩書きってかっこいよね)

お偉いさんは肩書きを持ちがちだし現代社会は団体をつくりすぎている。肩書きも増やし続けている。たしかに肩書きって自分の存在の証明でもあるから安心材料で承認欲求の一つでもあるかもしれない。
肩書きがたくさんあるひとにあこがれてしまうのはしょうがない。
でもその一方で「わたし」として評価されたい欲もある。
学生の「わたし」でも飛騨市出身の地元好きの「わたし」でもなくてわたしはわたし。

いつか何やってるかわからない会社があるまちが素敵な町なんだと聞いたことがある。なんでもできるし、なんかわからんけど町にとけこんでいる。
ざっくりそんな自分になれたらいいなあと。

きっとわたしは小さな社会でどっぷり生きたい。
自分を認めてもらえる社会で生きたいし、たぶん小さいのがちょうどいい。

夢を探し出すことが私の人生の夢

これぞモラトリアムの真骨頂(笑)
小学生の時から私は夢という夢がない。
いや無いわけじゃないか。小学生の時は両親をみてなんとなく公務員になりたいといって周りを喜ばせた(大学3年生になって講座を受けずに祖母に叱られた笑)。きっとあの時の公務員という夢も夢じゃなくて思考の蓋だった。そう言うことで考えずにすんでいたから。
今はフロを探して肩書きの無い自分で死ぬときに悲しがられるのも夢と言える。

本当に夢がなかった時、自分がどうしたらいいのか分からなかった時。
じゃあ一生をかけて夢をみつける人生を送ってやろう!って腹をくくった。
ちょっとアバウトな夢だし、目的がさだまっていなければ回り道をして無駄をするからよくない、と言われたことがある。
回り道こそ楽しいし、予想した通りの人生なんておもしれえ人間になれないだろ!
「なりたい自分に自分がやりたい方法でなることの価値」めちゃくちゃに優しい友達が言ってくれた言葉とても気に入った。

小学校からずっとインプットをつづけてきた私にまだ夢がないのなら。

もっと広い場所でインプットしてみればいい!
なにせ私は川下り型だから。寄り道型だから



言いたいことをこんな徒然してるとこんな感じ。
この時点で3000字ちょい。
(加筆修正してたら全体5000こえました笑)
こんな風に気持ちを吐き出して何をしたかったか。

協力者がほしい。

わたしのこの思いを共感してくれる人がどれだけいるのか
わたしに協力したいと思ってくれる人がどれだけいるのか
そしてそんな人たちの顔を思い出しながら旅をしたらきっとたくさん学びがあるんじゃないか。

今更だけど私はとても三日坊主で熱しやすく冷めやすい。
そんな私が海外に一人で行く!って意気込んでるのだから自分を奮い立たせたい。
もし私が旅の資金を集めるっていったら協力してくれる人はいるのかな。
保育園からの腐れ縁の友達は500円だしてくれる?ってきいたら「まあお年玉くらいなら」っていってくれた。

自分を試してみたい。

きっとみんなは自分の経験を社会に還元するために資金を集めている。
でも私は完全に自分のため。
それでも協力してくれる誰かがいるのならそれで海を渡りたい。

前回ノートが知らないかたからもハートをいただいたのでちょっとこの徒然草を一足先に海に出そうと思います。




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