見出し画像

遊び回るなら需要がある若いうちに

アルフィー / 2004 の映画を視聴して。

遊び回れる男性って羨ましいなと思う。
遊び回れるということは、それだけ需要があるということ。
どんなにカッコよくても、外見の手入れをしていなかったり、ビシッとスタイルを決めていなかったり、所作が挙動不審だったら遊び回ることはできないと思うから。
自分の需要が続かなければ、自分が話しかけても相手が乗ってくれなければ、遊び回ることはできない。
だからある意味で彼らは数ある男の中から自分が選ばれるように努力しているんじゃないか、と思うのだ。
だからといって、女性はただ自分を満足させるために存在している、自分の意のままだ、と傲慢になってもいいということではない。
しかし、一夜限りの相手として楽しめる人、と選ばれるということは、それだけ理由があるのだろう。

最近も遊び回る女性を描いた小説を読んだけれど、自分もできれば遊び回る 20代を送ってみたかったと思う。
真剣な交際もいいけれど、一人の相手に限定するのは早すぎる年代のようにも思う。
この世の中には男性はたくさんいる。
日本だけでなく世界にも目を向ければ、色んな国でいろんなイケメン男性がいる。
ゲイとしての自分からすれば、どうせ楽しむなら世界中のイケメンを相手に遊び回って堪能してみたい。
世の中のイケメンを相手にするためだけに世界を旅することができたら、どんなに楽しいだろうと思う。
ただ、いつまでも遊び回れるわけではない。
世の中には需要というものがある。
そしてどうしても勝てないものは「年齢」だ。

自分は若くてハンサムでまだまだイケる! と思っていても、自分よりも若くて可愛いイケメンが出てきたら、その座を取られてしまう。
自分はさんざん若い女性を選ぶ側だったのに、気づけば自分が選ばれる側になり、若い人と比べられて捨てられてしまう。
自分の需要がなくなりつつあるのを悟り、振り返ればたくさんの女性と楽しんできたけれど、残ってくれる人は誰もおらず、不正をやらかしてしまえば親友も失ってしまう。
都合のいいときだけ会いに行く彼女には、今後の交際を真剣に迫られてもあやふやにしていたことで見限られる。
ひとり寂しくなったときに復縁を迫っても、すでに相手には新しい恋人ができて付け入る好きがない。
若いうちに遊び回るのは楽しいかもしれない。
でも需要がなくなって選ばれなくなったときに、あとに残るものがなければ、それはただ虚しいだけかもしれない。

遊び回る人生もある。
真剣に恋人を作って一途に愛する人生もある。
どちらも楽しいけれど、どちらにも一長一短がある。
人生は難しく、恋愛も難しいなあとこういうときに思う。
どっちも楽しみたいなら、うまく折り合いをつけて妥協しなきゃいけないんだろう。

それにしても約 20年前のジュード・ロウってめっちゃイケメンだった。
名前は聞いたことあるけれど、実際に出演している映画とかよく観たことがなかった。
最近のファンタビック・ビーストでダンブルドア役で出ていて、結構ダンディーでイケオジなーと思っていたのですが、若いときはかなりハンサムだった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?