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ショートショート 「走馬灯」


【見知らぬ美しい女が赤子の俺を抱きかかえている。隣で背中を向けている男は多分父ちゃんだ。かなり若く見える。その女は愛おしげに俺の頭を撫でながら『ちゃんと大人しく出来るかな〜?』と優しく語りかけた。『まだ小さいから無理だろ』と冷たく言い放って父ちゃんは煙草に火を付けた。】

【『よろしくね』と俺にさっぱりと挨拶をするまた別の女。水商売をしているのだろう、ケバケバしくてタバコ臭い。『母親になるんだからもっと優しく言えよ』とニタニタ笑う父ちゃん。言われてみれば、なんとなく母さんに似ているような気がする。】

【父ちゃんの葬式。大勢の人が祭壇に向かって泣き崩れる中、『これからはお母さんに任せなさい』と僕の肩を抱き寄せて涙を見せない母さんの姿。当時は気付かなかったけど母さんは赤いドレスを着ていた。】



俺は宙を舞っていた。
手元にあったはずのスマートフォンは僕よりもさらに空高く放たれている。
痛みは感じないが身体が不自然な方向に捩れていて、骨が砕けていることは感覚と目で確認できた。
今から死ぬんだと思う。
母さんからの電話に適当に相槌を打ちながら横断歩道を渡っている最中に右からトラックが突っ込んできたのだ。
ほんの数秒前、赤信号が青に変わったことを目視してから歩き出したはずなのに。

時間がゆっくりと流れる。
神様が最期にくれる猶予なのだろう。
断片的な映像が脳内に移し出されて行く。
死ぬ直前に人は今までの人生を走馬灯のように蘇らせると何かで聞いたことがある。
でも、物心つく前の幼い記憶まで掘り起こされるとは知らなかった。
父さんが死んだのは俺が7歳の時。
当時の俺は状況を把握できる筈もなくただただ泣いていた。
世界に一人取り残されたように感じた。
何故か分からないけど、あの時は母さんと心の距離があったように思う。
亡くなって9年経つが、家には父さんの写真が1枚もない。
気になって一度母さんに聞いたことがあったけど「パパの顔を見ると思い出が蘇って辛いのよ」と目線を逸らして答えたのでもう聞かないと決めている。


【授業参観日なのに見に来ているのはうちで雇っている家政婦だ。教室にいる同級生のメンツを見て推測するに、小学4年生の時だと思う。
隣の席の奴が『お前、母ちゃん違う人になったの?』と無邪気に聞いてきた。『うるせぇ!!』と言ってそいつの顔に筆箱を投げつける。入っていたコンパスが友達の頬に刺さりクラスが騒然となった。】

【母さんがまた見知らぬイケメンを家に連れてきた。『こんな大きい息子さんがいるんですね』と近づいて来るなり俺の頭を撫でてきた。手を払いのけその男を睨み付ける。『ちょっと外に出ててくれる?』と言って俺に1万円を裸で渡してくる母さん。こんなことは日常茶飯事だったからいつの記憶か判らない。俺は二人が“こと”を済ませるまで深夜の公園で時間を潰すのだ。】


詳しい事は知らないけど、うちは相当裕福だ。
「パパが生きている間に沢山お金を残してくれたからね」と度々母さんは漏らすが、俺にその恩恵はあまり回ってこない。
母さんと二人暮らしなのに家は父さんが生きていた時と同じ3階建ての一軒家のまま、その上家政婦を雇って全ての家事を任している。
母さんは自分を美しく保つことにだけに専念している。
月2回のエステとネイルサロン、1シーズン毎にブランド物の衣服は一新される。
今年42歳を迎えるがいわゆる美魔女の類に入る女性だ。
多分何も仕事はしていない。

僕が公立高校に進学してすぐに母さんには特定の彼氏が出来た。
家にその男を招くことは無く、母さんは家を空ける日が増えた。
そう言えばここ3ヶ月ほど母さんの顔を見ていない。
電話はしょっちゅう掛かってくるけど、好き放題自分の話をした後『また困ったら連絡して』と言って一方的に切る。
母さんが家に帰らなくなってから新しく住み込みの家政婦が雇われた。
実質僕はその家政婦と二人暮らしのようになっている。
母さんよりも遥かに若く見えるが、40歳手前ぐらいだろうか。
大人の色気を感じさせつつもややあどけなさが残る可愛い家政婦に良からぬ妄想が働く。
好奇心旺盛な思春期の僕。
全く迷惑な話だ。



地面が近付いてきた。
人間は身体の中で一番頭が重い生き物だと聞いたことがある。
僕は頭が下に向いた状態でゆっくりと落ちている。
もうすぐ死ぬのだ。


走馬灯の初めに出てきたあの優しい顔の女性は誰だったんだ?
生まれてすぐの記憶だから、あれは俺の母親なんじゃないのか。
待てよ。
今まで抱いていた違和感が晴れてしまいそうだ。
俺は、母さんの子じゃないのだろう。
多分母さんは父さんの金を目当てに近付いた。
なるほど、俺に愛情を注いでくれなかったのも納得が行く。
でも、父さんは何故死んだ?
どうしてそんなに都合良く死んでいったんだ?
そう言えば父さんも事故死だった。
母さんは葬式の日に赤いドレスを着ていた。

俺はどうして死んでいくんだ?
母さんにとってこんなに都合の良いタイミングで。
俺は誰に殺されたんだ?

これで、我が家の全てが手に入れるね。
おめでとう、母さん。



ぐちゃ。

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