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握りしめていたもの。

久しぶりの空港だったので
早めに行って国際線エリアなど見てました。
綺麗だった!


大学進学と共に東京へ来てそのまま現在も在住
間2年間はイタリアに留学して住んでいたけれど、生まれ育った実家よりも東京での暮らしが長くなっていた。

今回は2年ぶりの帰省だった。

1年少しかな?と思ってたら案外月日が経っていた。
今年の夏の猛暑や仕事のあれこれで少し心身が疲労してて、なんだかモヤモヤするようなスッキリしない気持ちがずっとあり
きっと帰省したら楽になるかな、なんて思ってきたけれどそうでもなかった笑

帰省する前に身体のメンテナンスをしたり髪を切ったりしてみたけれど、なんだかあんまり。

家に戻ってきても、夜中目が覚めて胃がモヤモヤしてしばらく眠れなかったり
相当疲れてるのか秋バテという自律神経が参ってしまってるのか…

東京へ向かう飛行機の中で気づいたのは、ほぼテレビを見ない生活をしてたけど
実家では父がいつもテレビをつけてるからそのせいかな、と。
かと言って自分がいる間消して欲しいとも言いづらく…でも今度は言おう笑

当たり前に自分が年齢を重ねれば両親も年を取り前はこうだったのにな、と思う事も出てくる。
それを感じるのは時折寂しくなるけれど
同時に案外自分は1人での生活やれてたんだなという発見にもなった。

実家に帰ると本当に何もしないで過ごしていて、それはわたしなりに家族に頼ってることでもある。
周りに頼るという事がなかなか出来ず
なんでも自分で出来なくては!とずっと思ってきたけれど
ここ数年は頼れる人には頼り、分からない事も専門的知識がある人に聞いて…最初から素直にこうしてれば良かったなと。

家ではせめて自分の洗濯くらいはと思いつつ
ついでだし良いわよ、という言葉に甘える。
何となく手持ち無沙汰になるので
洗い物や洗濯物を干したり、高いところの掃除などをやってみたり。

こういう時間はゆったりと流れて、意外にも自分の心の中にゆるみをもたらしてくれた。

昔は結構
大丈夫なのか?といつも心配をしてくるので
自分が何も出来てないように思われてるのだろうか…と何とも言えない気持ちだったけれど
親というのは多分そういうものなんだろうなと。
わたしが気にかけるのと同じように。

そういうの無くなったな、と今回感じて
過去を握りしめて思い出して感傷に浸りすぎてたのは自分だけだったのかもしれない。
過去の未消化な自分の感情や本音はもうとっくに消化されても良いものだったのに、わたしが拘って手放せてなかったのだ。

無くなったら無くなったで、寂しかったのかもしれない。

大学の時から年1回は必ず帰省をしてきて
熱を出しながらも仕事があるからと東京に戻ったり、色々あったなぁと思い出した。
以前は自分が見送られる事が殆どだったけれどここ数年は、わたしの方が無事に車が出て行くのを見送ってから空港へと向かっている。

こういう変化も寂しくも感じるけれど、目を背けたりしたくないし
受け止めて、悲しい気持ちや何となくホームシックのような泣きたい気持ちになったら素直にそうしている。
何年か前に本当に東京にいる意味があるのか、別にここじゃなくてもいいんじゃないかと考えた時があり
羽田空港に到着して、一頻り角の席で泣いてからマンションへと向かった。

今年に入って『いい加減どこかに行きたい!マンションも引っ越したい!もう東京じゃなくても良いんじゃないか!』と思ったけれど

今回の帰省で
『もう少し東京でやってみるかぁ』とぼんやり思えたのは、多分心に緩みと少しゆとりが出来たからかもしれない。

〝仕事のストレスを仕事で発散できるのが向いている仕事
仕事のストレスを仕事で発散できないならそれは自分に合ってないのかもしれない〟
そんな事を聞いたことがあり
何だかんだ東京で発散も出来てるな、と。

でも、住む場所は変えたい気持ちはある。

時折こうやって、現在住んでる場所からの景色を変えてバランス取る事が自分にはやはり大切だと感じた。
それは、遠出じゃなくてもいい。

都内近郊にあるビジネスホテルに泊まってみたりでも気分転換になるし
今度帰省した時は、市内のホテルに泊まってから実家に戻ろうかなと楽しみが増えた。

これまでなら浮かばなかった考えだった。

両親、家族を愛することは
いい部分だけをみるのではなくて
また、こういうことして〜
もー…しょうがないなぁ
こういうところあるもんなぁ
と感じる、欠点に思う部分も含めて

それでも大好きだな大切だなと思う事が愛する事じゃないかと思う。

盲目的に見るのではなく
年を取って前はすんなり出来てた事も、時間がかかるようになったのを見るのは
胸がチクっとする事もあるけれど
だからと言って、かわいそう…というようなフィルターでわたしは絶対に見たくないし
見て見ぬ振りもしたくない。

それに、それぞれに自分の日々を穏やかに心地良く過ごしながら
毎日の中に幸せを感じて生きてるんだなぁと
そんな風にも感じた。

今回久しぶりに帰ってきてみて
わたしがずっと色々考えて胸で燻っていたものはもう、とっくの昔の事で今はもう無いんだ。
『いつまでも、わたしはこうじゃないんだ!』と言いたかったけどそれは自分自身にだった。
いつまでも握り締めてなくて良いよと。

今はみんなそれぞれに日々を過ごしているのだとそんなことを感じた。

悲しくなってもいい、泣いてもいい
大丈夫だよと自分に今でも声をかける。
わたしはいろんなことを考えすぎてしまう事もあって
それは取り越し苦労なのだけど、それも含めて自分だなと。
それでも良いよ、と思える。

2021年の3月。

東京
わたしにとっての中継点、通過点
トランジットを過ごす場所。

東京という中継点からまた世界のあちこちへ。

よろしくね。

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