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そのかわりとなってるモノ

映画を見に行った帰り道の夕焼けが綺麗でした。
日比谷あたりをプラプラと歩くのが好きです☺︎
皇居も近いし、丸の内あたりも綺麗で景色を楽しむのもオススメです。


ここ10数年
ネットでの情報共有がとても便利になった反面
自分を出す面積が増えると、それに比例してアレコレと言ってくる人たちも増えますね。

顔が見えないから何を言っても何をしても良いわけではないはず。

今自分が発した言葉を相手の目を見て真正面に立って言えますか?

自分自身の基準で判断をして、対象となる人に傷つくような言葉を当てる行為。
その奥にあるものはなんだろう?

大抵は嫉妬だったりします。
自分もやりたい事、その立ち位置になりたいけれどそうじゃない現実を見て落胆して
憧れてる場所にいる人に消化しきれない気持ちをぶつける。

あとは
日々の中での不満や未消化な感情を抱えてて、それらをぶつけて解消しようとしている。
解消されるどころか、自分では手に負えないほどにヒートアップする。

『そんなつもりはなかった』

じゃあどんなつもりだよ?と相手の目を見て聞きたい。

一見消化されてスッキリしてるようだけど、延々と止まる事はなく行動が酷くなる。
そして気がついた時には手に負えない事態に。

人にぶつける前に
今こういう気持ちだという事
こんな風に感じている、と自分自身が見つけてそれを体感しない限りは延々と続くでしょう。

心がサインを出してるから。
声に出せない分そういう風に自分にとってイラつかせる(嫉妬を抱くような)モノを常に見せるという手段で。
何もスッキリしない、余計にイライラする。

以前見てたブログで
『あなたの正しさという狂気を私の部屋で振り回さないで下さい』とコメント返ししてるのを見ました。

その通りなんです。
人気があって知名度が上がる分そういう風に傷つけるようなコメントをしてくる人も居たようです。
多くはファンの人や元気づけられた人からの嬉しいコメントだったりするけれど
だからこそ、そういうコメントがあると目立つんですよね。

真っ白なキャンバスに塵が一つ落ちてると目立つように。

自分が正しいと思いすぎること。
その正しさが世界共通とは限りません。

遠慮することが建前で大切としてるところもあれば
遠慮し過ぎはかえって不快な思いをさせてしまったり。


陰陽というバランスがあるように
正しさを生み出せば間違いだ、というものも生まれる。
そして自分たちの思う正しさを誇示しすぎる事で争いが起こる。

世界の争いの発端は大抵が正しさの押し付けじゃないかな。

わたしがこのnoteを始めた時から、自分自身を見つめることの大切さ
自分の感情や思考を見つめることの大切さを発信してます。

わたしの場合、感情だと思ったら思考だった…ってありましたが笑

ネガティヴという括りになる感情を、人は感じないようにしたり蓋をしたりすると思います。
罪悪感と後ろめたさや遠慮惨めさ…そういったものが同時に湧き上がるから。

でも、自分が感じない限りはいつまでも抜け出せないしなんだかパッとしない日常が続くと思います。

感じ切ると大抵は『アホくさ。もう飽きたからもっと楽しいことしよー、とりあえず寝よー』って楽になると思うんです。

ゆるやかに、楽ちんに。

みんなそんな風に、心地よく穏やかに楽に緩やかに『自分がそう感じて』過ごしたいんじゃないかな?


9月も心地良い日々となりますように。

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