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小さな灯りは街の文具屋さん


 ✴︎冬ピリカグランプリに出す作品として、幼い頃の思い出を題材に書いていた。しかし、文字数が大幅にオーバー。こちらは応募作として出すのはやめて、記事として出します。

注)ピリカさんより、お知らせ。

✳️エッセイは不可。必ず小説で。
との事です!!

もしかして、私の記事を見てエッセイでも大丈夫なのかな?勘違いさせてしまったら、ごめんなさい🙏


 ショートショートって難しいね🤭
 では、スタート❣️

「おかあさん、可愛い消しゴムやえんぴつを買って」何でこの一言が言えないんだろう。短いえんぴつに小さく丸くなった白い消しゴム、えんぴつは少し白が混ざった草色の緑だ。おばさんみたい。


 本当はクラスメイトが持っているような、ピンクや赤、うすい水色に可愛いプリントがついた鉛筆や消しゴムが欲しい。鉛筆は10円しか違わない、消しゴムに至っては同じ値段の100円である。


 皆と同じものが持てないというのは、子供にとって死活問題である。それが、母には分からない。「書ければいいでしょ」こともなげに言う。本当に書ければいいのかな?


 小さくなった鉛筆や消しゴムを指先でぎゅっと握って書いたり消したりする。最後の最後まで買っては貰えない。小さな鉛筆✏️の背につけるキャップを知ったのは小学校の何年生だったか?

 キャップさえあれば、チビた鉛筆も書きやすいのにと密かに欲しかったが、いかんせん値段が少し高かった……。あえなく却下され、友達が使っているそれをいいなとは思ったが、

 羨ましく思う事を通り越して諦めるしかなかった。金銭的に購入出来なかった訳ではない。母は自分が認めた、自分の正しさの為に湯水の様なお金を使えたが娘の気持ちにはお金は使わない人だった。


300円さえわたしには使う価値がないのか、酷く落ち込んでいた小さな私がいた。


 年賀状も書かない、ご馳走もない。お正月番組を観るわけでもない。ただ、いつもと同じ日が続いていくだけの年末年始がきた。いつもと違うのは離れて住んでいた叔父から、

 お年玉を一万円、その年は貰えたのだった。どうせ、没収だろうと思っていたら叔父から電話があり、子供達に使わせてやれと母に進言してくれ、手元に一万円がきた。


 決して無駄遣いはしてはいけない。学校で必要なものは、ここから買いなさい。そう言われたので、欲しくても買ってはいけないのだと大切にしまい込んでお正月は過ぎていった。


 1月7日。学校が始まった。ハンドンで帰宅したら母の正しさの為の活動をせねばならず、学校で授業の方が楽だな〜とぼんやり。夕方6時。やっと帰れる。

 暗い夜道を、鬱蒼と木々が茂りトンネルみたいになった道を抜けてお池のフェンスの横においたカローラに乗り込むと、Uターンして開けた道に出て行く。何処に行くの?とは、聞かない。

 鶏舎の前の道を通り、クサーと思っていたらスーパーに着いた。「車で待っている?」母から聞かれ、待っていようかと思ったがエンジンをつけていてくれる訳でなし。寒いのでついて行った。   

 もう7日だ、お正月は終わり。ポテトの匂いが充満した通路を歩きながら文具店を横目に見る。小さな段ボール箱の上に2つだけ薄紫で動物がプリントされた紙袋が置いてある。

「なんて読むの?」「ふくぶくろだよ。大体ゴミしか入ってないから買わないよ」

 反論はしない。食品の買い物を終え帰り道、また文具店の前を通ると袋は1つになっていた。思わず、「売れちゃった……」足を止めた。「こんなん買う人いるんだ」母が隣で言う。


「お客さん、最後の1個!福があるよ。それに、ここだけの話今年のはめちゃくちゃお得なんです」お店の人が、実は私も買ったのよと、もう1個買いたいくらい、ずっしり重たいでしょ?と猛プッシュ。


「じゃあ、買ってもいいか。そうだ、貰ったお金を使いなさい」レジに行くと、もう1人女の人がいて、
「袋の上が破れているからテープでとめさせて貰いますね」優しく笑ってくれた。


 購入したという証明になるのだとシールを袋に貼って貰い、ずっしりと重たい紙袋と帰路についた。何が入ってるのかと思うくらいに重くて、妙にわくわくした。

「どうせゴミばかりだよ、上手いこと言われて買わされちゃった。中身がしょうもなかったら返したいくらいだね」母が横から言う中で、2重に重ねられた紙袋の上についているテープを鋏で切っていく。

 中を見て、泣きそうになる。「おかあさん、ゴミじゃなかったよ」色んな色の鉛筆や消しゴム、筆箱に可愛いイラストのメモパッドに鉛筆キャップ。それに香り付きのビーズに練り消しまである!!!

 クラスメイトが持っていて、わたしが持っていなかったものが、いっぱい入っていた。これで、みんなの輪の中に入れるかもしれない。すごく、すごく、すごく嬉しかった。


 何年もかけて少しずつ消費した。大切に、大切に使い、また次のお正月が巡り、前回の中身に気を良くした母が同じ文具店で同じ値段の福袋を買ってくれたが、中身はカスだった。笑

 それから2度と買ってもらえる事はなかったが、叔父からのお年玉を、それこそ何年ももたせて少しずつ文具を買えたのと福袋に入っていたペンケースやキャップなども何年も使えて助かった。

 ところで福袋を買うよりも、好きなものを買うのが良い説がある。全く、その通りである。しかし、そもそも持たない者にとっては、とりあえずの物をお得に手に入れられるのは、とても助かる。

 と言っても、子供時代に母に買って貰えた福袋はこの二つのみ。成人してからは、臨時収入があったのかお洋服の福袋が一つ。合わせて三つのみであった。

 働く様になり、ある程度のものは手に入れられる様になり、福袋については心の隅に追いやられ、忘れさられていたが4年前くらいかな?YouTubeの福袋開封動画を見て、あのわくわくを思い出した。


ぶくろちゃんである。

 いやいや、何が入っているか分からないものに何万もかぁ……と、思い迷う事3年。カウンセリングの先生にとのむらさん頑張っているのだから、自分にご褒美をあげて。 

 そう言われ、昨年末このご時世でお小遣いを使う機会が少なく貯めれていたので思い切って、買った!福袋のお品の一例。大切に使っている。

 ブーツとバックが福袋。今年も2個予約した。

 ちなみに、可愛い文房具が本当は今でも欲しい。福袋で手に入れようかな?と、何度も考えるが、今ある文具で事足りる、100均やオマケで十分だと買えてはいない。

 夫の名誉のため言うが、我が家は貧乏ではない。お金持ちではないが。文具を幼い頃欲しくて買えなかった、だから欲しいんだと言えば、買えと言ってくれるだろうし、 

 何なら言わなくても買える自由はある。なのに、買えないのだ。子供だから欲しかったものがあるし、自分でじゃない、誰かとあれこれ言いながら選びたいのかもしれない。

 多分、小さな私は母に買って貰いたいのだ。欲しいよね?みんなと同じものを持つ価値がある可愛い子だと言って、一緒に選びたかったのだ。けれど、十中八九、叶わない。悲しいが叶わない。

 可愛い文具を自分の為に買えた時に、小さな私の悲しい気持ちに「さよなら」出来るかもしれないね。超絶にお得な女の子の文具福袋に出会わないだろうか?それなら、買える。きっと。


句にして詠もうかしら。
気持ちを昇華できるかな。
ペンギンバー✨
謎な句があったら、のりこです。笑



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