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薄っぺらなわたし

自分が他者に遭遇するとき、確かに第一印象は見た目が9割で、その最初についた印象を、その後回復するのは大変で、言葉遣いや身だしなみで相手を判断しているだろう。

でも自分がジャッジされる側になると、
「そんなところを見るなんて表層的だな。もっと中身を見てくれよ。人の本質は中身だよ」
なんて、都合のいいことを思ってしまう。

「学生時代は、『最初は微妙な印象だったけど、実は結構いいやつじゃん』みたいなことがあったかもしれないけど、社会人ではそんなことはもうないです。最初の印象で全てが決まり、そのあとはもう、相手の心の中で関係を切られるだけです。」
と、新人研修マナー講師が言った。

わたしは人間関係構築が得意な方ではない。

これまでの20数年間、わたしの人間関係構築方法は、長い時間をかけて、深い関係を築くことばかりだった。

クラスや部活で半年、一年を一緒に過ごして、自分の人となりを理解してもらう。

そんな甘い環境に浸り切っていた。

会ってすぐに好印象を抱いてもらう、なんて必要はこれまでは少なかった。

正直、身だしなみや言葉遣い、挨拶など、自分がひどくできていない自覚はない。

ただ、これまで「自分が他人からどう見られているか」を気にすることがそこまでなかった。

他者から見える自分を意識してこなかった。

わたしは、わたしが好きなように、ただ生きてきた。

だから、印象印象印象印象、と飛び交う研修会場で、自分が他者に与える印象、自分の言動が他者をどういう気持ちにさせるか、ということを、こんなにも意識しないといけないのかと驚いた。

そんなに印象が大事か。大事なんだ。印象で決まるんだ。


商品が綺麗にパッケージされてないと、買う気にならないと同じように。

ウェブサイトのデザインが使いづらかったり古くさかったら、すぐサイトを閉じるように。

私たちも商品で、それと同じように、選ばれるように見た目・体裁を整えないといけないのだ。

服装、髪型、立ち姿、身振り手振り、話し方、口調、声の大きさ、お礼の仕方、目線とか、そういうのがすごく大事なんだ。

人は中身こそが大事だと言いたいわけでもない。

ビジネスにおいても普通に人間関係においても、他者に好印象を与えることの重要性を否定したいのでもない。

私たちはそれくらいわかりやすいもので判断してしまうんだ

「誠実”そう”」

「真面目”そう”」

本当に誠実か、真面目かなんてわからない。わかりっこない。

だから、〇〇”そう”で判断するしかないのだけれど。

見えるものしか判断できないんだ、そんなので気持ちを左右されてしまうんだ」という事実が、なんだか虚しく感じた。


新入社員二日目の日記。

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