わたしと、素朴
ちょっと久しぶりの「わたしと、〇〇」シリーズを書く気になりました。
本当は前回の記事から派生して「料理」について書こうと思っていたのですが、さっき買い物帰りに物思いにふけっていたら、ふと「あ、わたし、素朴って言葉すきかも」と気がつき、なんだか素朴についてあれこれ考え始めちゃったもんだから、こちらを先に書きます。
素朴って言葉、今一度その意味を調べると、こんな感じ。
1 自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと。単純で発達していないこと。また、そのさま。「―な遊び」「―な漁法」「―な疑問」
2 人の性質・言動などが、素直で飾り気がないこと。また、そのさま。「―な人柄」(goo辞書より)
・・・なるほど。まんま自分にとって好みなワードということが、ますます理解できたような気がします。
そんなわけで、わたしの大好きな言葉「素朴」のあれこれについて、つらつらと書き綴ってみることにしよう。
日々のちょっとした「素朴」に幸せを噛みしめる
例えば、朝起きてふと窓に目をやった瞬間の、空の美しさとか。
料理をする際、水でさっと洗った後の野菜やハーブの姿とか。
日常でふと目にするものが「素朴」なほど、あ、なんかいいな、って思ったりする。
散歩へ出かける時も、かえってあまり手の入っていなさそうな場所を通るのが好き。もしくは、人工物でも時が経って自然と一体化しつつあるような。お寺とか、古い民家はまさにそう。
森林へ出かけても、わざと全然メイン通りじゃない方へ行くのも好き。とかいって、人や動物が通ったような道を見つけると、それはそれで嬉しくなるのだけどね(なんていうか、舗装されているのではなく、自然に道ができちゃった感じがいいよね)。
日々目にするあらゆるもの、特に生活に関わるアイテムや景色こそ、素朴であってほしいなと思います。
アイテムに関しては、毎日使うものだからこそシンプル、でも実用性が高い方がいいに越したことはないから。ゴージャスが悪い、という意味では決してないけれど、装飾が邪魔で使いづらいとかってことになっちゃうと、暮らしの道具としての役割は果たせないもの。
景色については、年中変わらないアパートやマンション・ビルが立ち並ぶようなところではなくて、木々や草花が多い方がいい。季節の移ろいこそ「素朴」だけど美しい。
ゴージャスなものは確かに目を引くし、新しいものからインスピレーションを感じることもあるけれど、素朴こそ日々、季節や経年の変化を感じ、小さくても感動したり、新たな発見を得ることができるんじゃないかしら。
それが、毎日のちょっとした幸せにつながっていくように思います。
「引き算デザイン」が好きな自分
これは、特に手仕事と料理(どちらも基盤は同じだと思うけど)で、特に感じることかなあ。
料理は基本的に、あれこれ足しながら味を調節するのが、ちょっと苦手。
色々足して得られるハーモニーもいいけれど、どちらかといえば、素材ひとつひとつの味わいや香り・食感を楽しみたいタイプです。
それは、そもそも自分が料理と本格的に向き合ったわけではなく、知識や技術に乏しいから、というのも大きいと思う(せいぜいカフェの仕込み担当とか、和菓子のイベントやってみたりとか、みんなの賄いご飯を作る程度であって、食材や調理の知識が勉強したわけではないという意味で)。
けれど、それでも自分が手をかけて育てた野菜やハーブ・森で手に入れた野草・地域の生産者んが真心込めて作った食材なんかは、それぞれが本当においしいからこそ、できるだけ素朴な調理法・味付けでいただきたいものです。
日本料理といえば煩雑な調理法が多い上、品数も多いイメージです(それはそれで素晴らしい!)が、わたしは同時にエフィシェントにいきたい面もあるので、あまり手間をかける料理はしません。あ、でも気が向いたらやるし、パンとかは自分で作るよ。
この「パンとかは自分で作る」の話については、いつか「料理」のテーマの中で詳しく語れたらと思いますが、ここで言っておきたいのは、「便利」や「スピーディ」と「素朴を楽しむ」は違うということ。
いくらエフィシェントを好むわたしでも、パンやピクルス・日本でいうなら味噌や醤油といった調味料のように、発酵菌がぷくぷくと働いてくれるようなものに関しては、テクノロジーの力に頼るのではなく、ありのままの自然の持つ摂理に任せたいのです。
それが結果的に、わたしたちの料理に素朴な味わい・楽しさをプラスしてくれるものでもあるからね。
手仕事に関しても、さっき触れたように「自然の質感を活かしたもの」が基本的に好き。
でも、それならなんでもいいというわけじゃなくて、長年の知恵によって築かれた「実用の美」にこそ、素朴さの魅力があるとも思っています。
そういう意味では「自然のままに近く、あまり手の加えられていないこと」とは少し離れるようにも見えるけど、わたしにとって自然とともに生きてきたかつての先人たちの知恵の結晶は、自然が秘める素材としての魅力を壊さず、わたしたち人間が最低限求める道具の利便性・実用性を見事に調和させている、という点で、とても「素朴」だと思うのです。
つまり、生活の道具としては計算され尽くしているけれど、大量生産が可能な機械ではなく、あくまでも人の手によって生み出されるもの。
催事や儀式用となると、また話は別かもしれませんが、わたしたちの普段の暮らしにおいて必要な手仕事・道具については、色々な装飾を掛け合わせる「足し算」ではなくて、できるだけ無駄をそぎ落とす「引き算」を駆使したデザインなんじゃないかしら。
さっき料理の話で述べたような「便利」「スピーディー」に頼るのではなく、少しずつ時間をかけて、丁寧に作り上げた手仕事には、素朴な美しさが光るものです。
「素朴なセンス」に自信を持ったっていい
例えば、すてきな柄物の服を着こなしたり、豪華な飾り物が似合う人って、いるよね。
もっと若い頃は、そういうセンスもいいな〜って思う時もあったし、スタイリッシュでモードなデザインに憧れることもあった。
でも、わたしはわたしで、自然と人の手からしか生まれ得ない「素朴」を愛したらいいのだし、ある意味では「センスそのものが素朴」といってもいいのかもしれないけれど、その素朴なセンスに自信と誇りを持ったらいいわけで。
いつだかは思い出せないけれど、ある時にふとそう思ったら、一気に気持ちが楽になったのでした。
近年は特に「wabisabi」とか「Japandi(北欧スカンジナビア+ジャパニーズデザインの融合らしい)」みたいな言葉も見るようになり、ますます日本人として生まれ、侘び寂びの心得をわずかながら学んできた身として、素朴さに魅力を感じる自分を、前よりもっと誇りに思えるようになりました。あ、中学時代は茶道部でして、社会人時代は和菓子屋だったもので。一応、ね。
性格だったり自然の姿だったり生活道具だったり、ここでは語りきれなかった面も色々あるけれど、全部ひっくるめて「素朴」には魅力が詰まっているな、と思うこの頃です。