見出し画像

日本生まれ日本育ちのわたしが、北欧暮らしでマイノリティになってみて見えてきたあれこれ

生まれてからおよそ四半世紀、人生のほとんどを東京で過ごしてきたわたしですが、新卒の会社を2年ほど勤めた後、いきなり初めての長期海外滞在をしました(簡単な略歴は、プロフィールをご覧ください)。


その話を、以前から書こうかな〜と考えてはいたものの、どこか迷いがあったのは事実。

なんとなく、過去に遡ってあれこれ考えるのって純粋に面倒臭く感じられてしまうし、どちらかといえば「今」に集中したいしで、あまり昔の話を書く気にはなれなかったのです。


なのですが、最近ちょっと色々と思うことがあり、ここ最近の世間のニュースなんかも見ながら「母国と物理的に距離がある」からこそ見えてくるものがあるのかな?と思い始めるように。

あれこれ考える中で「マジョリティの中にいると気づきにくいこと」って、やっぱりマイノリティになってみないとわからないのかも?と思ったのです。


わたしにとって、初めて自分がマイノリティーになったのは、紛れもなくノルウェーでのワーホリ体験でした。

(ちょっと余談)よく、ワーホリって遊んでいるだけじゃないの?とか、留学のように学問に打ち込んでいるわけではないので帰国後の就職に不利だとか、いろいろな声を聞きますが、わたしはワーホリほどサバイバルスキルの身に付く経験ってないんじゃないかなと思っていて。


つまり、目的や期間にもよりますが、旅行だと行政や家・仕事の契約にまで直接関わる機会がないし、出向や留学は基本的に会社や教育機関のサポートがあるケースが多いですが、ワーホリってエージェントを利用しない限り、入国後のことは全て自分でやらなくてはならない。

母国でもややこしいお役所関係や家探し、仕事探し、友達作り・・・初めから知り合いやパートナーがいる場合はいいですが、わたしは全くツテがなかったので、ほぼ全部自力で何とかしました。


失敗なんて数え切れないほどしたし、悔しい・恥ずかしい思いもたくさんあった。

でも、そんな過去の経験や学びが、必ず自分の一部になっているはず。

だったら、思い出せる限りのことを綴り、誰かの役に立てることがあるのなら書いてみてもいいのかも?と思った次第です。


今回の経験の話の軸は、主にノルウェーのワーホリということもあり、一個人の意見として経験談をシェアしますが、ノルウェーをはじめ北欧に興味のある方や、ワーホリのことをよく知らない・知りたい!という方にも読んでもらえると嬉しいな〜。


海外で生活する前は、政治にもお金の流れにも興味のない日本人だった

政治って、自分の暮らしにどれくらい身近なものであるかを、正直ほとんど感じたことがありませんでした。

選挙は行くけど、まあ両親や周りの人があんなこと言ってたから〜、みたいな感じで、あまり事前の準備もしないまま投票していたような。今考えると恐ろしいな。


お金にもあまり興味がなくて(今もある意味ないですが)、好きな職種でバイトして、好きなものを買ったりライブ・旅行に行ければ十分や〜、くらいにしか考えていなかったです。

つまり、お金の流れ道というのを、全くといっていいほど意識していなかったということ。


そんな感じだったので、社会人になって人暮らしをするようになり、自分の生活を全部自分でマネージするようになってから「こりゃ全然貯まらないな?めっちゃ色々お給料から引かれているな」と気がつきはじめ、やっと少しお金と政治について意識するようになったレベルです。


民主主義を肌で感じたノルウェー生活

会社を2年ほどでやめ、向かった先は北欧・ノルウェーでした。

ちょっとした経緯や理由はプロフィールに記している通りですが、実はこの時点で、ノルウェーの特色ともいえる「福祉国家」や「グリーンな政策」「男女平等」といった側面については意識したこともなく。


向こうで暮らして締めてから出会う日本人の中に、ソーシャルワークや環境問題について関心のある人たちがいたので、そこでやっと「そうなのか〜」と知りはじめたくらいです。


それほど、いわゆる「世の中のこと」に鈍感だったわたしですが、ものすごく感銘を受けた瞬間がいくつかありまして。

大きく分けると、国民の政治への関心の高さと、働き方です。


コーヒー片手に政治家と有権者がおしゃべりする選挙運動現場

日本と全然ちがう・・!と衝撃を受けた文化のひとつが、選挙運動でした。


まず、日本のような選挙カーやポスターが一切ない。

選挙期間になると、首都オスロの大通りの一角に各政党のテントが立ち並び、Tシャツ姿の政治家やスタッフがいるのです。

スーツじゃないことにも驚きましたが、もっとびっくりしたのは、コーヒーやワッフル(ノルウェー人の2大好物)を配り、フツーに有権者と語らう姿でした。


でもすぐに「政治家も有権者も同じ国民で、対等な立場で政治を語らうのは当然」という事実に気が付き、ハッとしました。

政治家を「先生!」とか呼んじゃう日本って、ちょっと変だな・・とも。


この選挙期間の前後も、生活のちょっとした瞬間やニュース情報から、ノルウェー国民は自分たちの暮らしをよくするために政治があるという意識をはっきり持っていることに、たびたび気づかされるのでした。


オーナーも社員もお客さんも、みんな対等

もうひとつ「さすが平等意識の高い国!」と思わされる機会が多かった瞬間は、自分が実際にノルウェーの会社で働き始めてからでした。


やっぱりこればかりはね、今こうしてリトアニアで完全フリーランスをやっていると、余計に実感します。

つまり、仕事を通して、国の仕組みの一部に所属して情勢を知るって、すごく貴重で大切な経験だし、そこから得るもの・考えさせられることって本当に多いんだな~ということ。


ノルウェーの会社といっても、務め先はふたつありました。

1つは、日本企業のノルウェー支社。しかも業務委託的な形で、オフィスに行ったのは面接のときだけでした。

ただし社内メールのやり取りはすべて英語、仕事場で現地の方とコミュニケーションをとるときは、英語かノルウェー語という感じ。


もう1つは、オスロ市内のカフェ。こちらは厳密に言うとノルウェー人オーナーではなかったのですが、移住して10年は経っているウクライナ人カップルが経営していました。

なので、同僚はめっちゃインターナショナルということもあり、コミュニケーションは英語。でおお客さんはもちろんノルウェー人ばかりなので、大体ノルウェー語かなあ(みんな羨ましいくらい英語しゃべれるけどね)。


それでも、少なくとも関わる人の半分くらいはノルウェー人だし、契約やお給料といったシステムはノルウェーの法律にのっとっていますので、まあノルウェー社会に属したといっていいと思います。


自分がお客さんとして買い物に行ったりしても思うのですが、ノルウェー人はとにかく誰もが平等。

ここでは差別がゼロ!ということを言いたいのではなく(ぶっちゃけそうは思わない)、オーナーだろうが下っ端スタッフだろうがいうべきところはきちんと言うし、お客さんが来ても日本のように話を中断して接客開始、ということもない。


特に、働いているとかなりの頻度で「お給料を上げてもらいたい」とか「働く時間を調整したい」とか「夏休みをとりたい」とか、色々な要望・条件をオーナーに直接交渉することが、普通に行われていました。

人によってはたまに言い合いっぽくなっていましたが、ノルウェーの法律上でも雇う側<雇われる側というパワーバランスらしく、正当な理由がない限りオーナーがスタッフを勝手に解雇したり、休みの取得を拒否したりってことは、基本的にありません。


この「交渉する」または「できないことははっきりと断る・辞める」というのは、初めのうちこそ「自由やな~」なんて思っていたものの、周りの「これは労働者の権利だよ」という言葉に、確かに・・!と気づかされたものです。

日本人として、そういうことをちょっと言いにくいな~と思いがちでしたが、いちど大切な用事があるのに「お休みの日を変えてほしい」とオーナーに迫られたとき、その話を同僚に打ち明けたら、めっちゃ大声で「それは違法!」と叫んでくれ、権利の行使に成功したことがありました。

あとから「悔しい~」と泣き寝入りするよりは、その場で解決できることはした方が、お互いにwin-winだよな~、とも、そのときにやっと思い直したものです。


どこにいてもマイノリティは見過ごされやすい

なんだかんだ「ノルウェーの民主主義の強さ」にフォーカスして綴りましたが、いくら平等意識の強いノルウェーにいても「自分はマイノリティである」という認識は常にありました。

ここは母国ではない。日本語でもミスコミュニケーションが生まれやすいというのに、外国語を使って暮らし、税金を納める。でも参政権はないので、いつ政権が変わって移民政策が厳しくなるかも分からない。


ワーホリは滞在期間にリミットがあるので、そこまでまじめに考えなくてもいいかもしれませんが、ノルウェーに暮らしながら自分の将来のあれこれを考えたとき、どうやってもノルウェー人にはなれない自分がノルウェー(じゃなくても日本以外の国)で暮らすことになったら、一生マイノリティなんだろうなあ、とぼんやり思ったものでした。


マジョリティって、周りに味方がいる安心感や心地よさがある。

しかしマイノリティではないから、どうしても当事者の気持ちになりきれず、結果的に政治や暮らしの中でマイノリティの声が見過ごされやすかったり、声を上げても届かないという実態はどこにでもあるのだな、というのが、母国ではない場所に1年暮らしてみた感想です。


けれど、マイノリティはマイノリティとして、その立場になってみないとわからないことって、ある。

だし、母国を見つめる際はマジョリティだった時とは違う目線で俯瞰でき、とても新鮮な気持ちになれます。


マジョリティの中にいると、なかなか抜け出す気になれないものですが、思いがけずワーホリ滞在を通して「マイノリティ」を経験することになり、それが現在までの自分の思考に大きく影響しているんだなあ、と。

日本にいると気が付かなかった(あるいは向き合う機会のなかった)視点や価値観に気が付けたし、そういう人たちの声が現状の日本社会には必要なんじゃないかな~と強く思っています。


そして今また、今度は同じ北欧といえども歴史的・文化的コンテクストの異なるリトアニアに滞在していますが、あのときとはまた違ったマイノリティを経験中です。

これまでの旅行や中期滞在とは状況も変わっているし、自分の中で色々と新たなフェーズを歩んでいることもあり、これはこれで思うこと・学ぶことがあるのですが、その話はまた今度。


ちょっとあちこち話が飛んでしまっているけれど、ノルウェー滞在がわたしの今までのお金や政治への考え方をガラリと変えたのは事実だし、さらに新たなステップを踏むための大切な経験だったな~と、当時をすこし振り返ってみて改めて感じました。

また世界が開けたときには、若い世代を中心に多くの方が日本の外に身を置き、違う視点を持つ大切さを経験できる機会を得られることを、切に願っています。



(ちなみに、後日ノルウェー滞在中の「仕事」を中心に、こちらで記事を書きました。北欧の働き方・ワークライフバランスについて興味のある方は是非どうぞ)


もしわたしの言葉や想いに共感していただける方がいれば、サポートをして下さるとうれしいです。 ひとりでも多くの方へ「暮らし」の魅カを伝えるための執筆・創作活動に使わせていただきます。