”不器用だ”と笑って生きてもいいですか?
小さい頃からとても鈍感で、とても敏感な子どもだった
性格はとても大雑把なのに、
何気ない一言に傷ついた
そのせいで自分が発する一言の重みも大きくて、本当の気持ちほど声に出す前に自分の中に閉まっておく
誰かの”考えないまま口に出す言葉”に何度も何度も傷ついてきたから、
自分も言葉を必要以上に慎重に選ぶようになっていた
美人でしっかり者の姉と比べられ、容姿に対する冗談も幼いわたしには通じないし、”だらしない”とされる性格も自分ではどうしようもなく、胸がチクリどころかグサッグサッと言葉という鈍い凶器がわたしを傷つける
でも、
いつも悪いのはわたしで、だらしないのはわたしで、みんなと"ズレている"のはわたしだった
あと10年先だったら、環境が違えば、
わたしにあった教育や対策等があったのかもしれない
今ほど”発達障害”という言葉も馴染みがなかったし、”特別支援学級”も今よりもっと理解が広まっていなかった
それに皮肉なことに 学校の勉強で困ったことは殆どない
その頃自分の通う小学校の教頭先生が”わたしのお父さん”であったため、”成績”は常にトップでなければいけなかった
それもそんなには負担に感じたことはない
勉強も運動もピアノもとても得意だった
それなのに、生活では全然通用しない
注意力が足りず、ケガも多いし、忘れ物、失くしものも絶えない
担任の先生からはよくこう書かれていた
それ以上に家族から毎日投げかけられた”だらしない”
この言葉がわたしの脳内から離れてはくれなかった
わたしの不注意からの”困りごと”は年齢を重なると共に治るのかと思っていたら
現実はそんなに甘くはない
ただ、母よりも姉よりも勉強だけは励んできたわたしは対抗する多くの”言葉”を手に入れた
初めて、2人に立ち向かうことができた
でも心は全く晴れなかった
そりゃそうだ
たくさんの”心無い言葉”で傷ついてきたわたしが、”言葉”で誰かを責め立てたところで”強く”はなれるはずがない
むしろ自分がもっともっと傷ついた
更に納得いかない2人はわたしを"変わった子"というレッテルを貼り、今まで以上に揚げ足をとるようになった
言葉や知識を手に入れても、わたしの”だらしなさ”は治っていないのだから当たり前だ
ランドセルや通学カバンを忘れて学校に行くし
サックスの発表会なのにサックスを忘れて家を出ちゃうし
人より引っ越しも病気も多いのに、保険証や免許証はすぐ失くす
自分はひとより”おっちょこちょい”な人間だと思っていたが、家族が毎回大きな声で怒りだすのをみると、どうやらそれだけではないのだろう
大人になるにつれ
"わたしはどうしてこんなに上手に生きられないんだろう"
そう感じるようになっていた
ハタチを超えても失くしものが一向に減らず
”こんなんじゃ社会に出れないよ!”
”あんたは本当に、だらしなくて恥ずかしい”
”こんな風に育てた覚えはないのに!”
と、母に強く叱られても何も言い返せない
”どうしてそうやって大事なものも管理できないの!”
と怒鳴る母に
”バカだから言ってもしょうがないよ”
と嫌味を言い水を差す姉
自分でもどうしたら良いのか分からず、八つ当たりも何度もした
その度に
”なんで、こんなに生きづらいのだろう”
と、自分のことがどうしようもなく嫌になり、1人になると泣いてしまう日々
今までどんなに勉強や習い事を頑張って成績を残しても、私生活の”だらしなさ”だけを毎回掘り起こされ、全て否定されてきた
わたしの心のメーターが0になるまで、必要以上に母や姉に言葉で袋叩きにされてきた
母は”妻”として、”お母さん”として毎日頑張っていたから、ただでさえ忙しい毎日に、”失くしもの”や”心配事”が多いわたしがタイミングよくやらかすからついつい集中的に声を荒げていたのだろう
それにもともと感情表現や気性が激しいひとだったし、わたしが無意識のうちに母にとって”発散の場所”となることは何も不自然ではないし、同じような怒り方をされてもわたしが人より”そのまま受け取りすぎてしまう子”だけだったのかもしれない
わたしはまだ”妻”も”母”も経験したことはないから、その苦労は計り知れない
子育てってきっと大変だし、わたしは本当に困らせてばかりだったよね
分からんけど、 わかるよ
そこに悪意はなかっただろうし、責める気持ちは全くない
でも、そのときのわたしはとても苦しかったんだよね
そこに、言葉のキツイ姉も加わって毎日毎日責められる日常
でも姉も”長女”として思うことや我慢してきたことが沢山あったのだろう
そんな生活を20数年
慣れてきたころに、大学に進学し今までのコミュニティとガラッと変わり、同級生はみんな"お兄さん" "お姉さん"の様に接してくれとても優しい友人に囲まれた
わたしを優しく受け入れてくれた
景色が変わった
失くし癖も、もちろん継続したままの大学生のわたし
その”失くしもの”にジャンルなどないから、財布とかアパートの鍵とか免許証とか大事なものも多々ある
わたしはいつものように一人で落ち込み、”嫌われるかも”と怯えながら友人に相談した
始めの頃は『どうしたら、そんな大切なものなくすのよ~』とびっくりされたが
どうしたものか、そのあとみんな笑った
とっても優しい眼差しで
だれも怒らないし、だれもきつい言葉で責めたりしない
”他人だから”
その一言に尽きるかもしれないけれど、今まで自分のだらしなさからは
”怒り”や”がっかりさせる”ことしか生まれなかったし、わたしはそこに”生きづらさ”まで感じていたわけだから、”笑われた”のは初めてで少し戸惑った
これまで落ち込む要素でしかなかったことを、笑ってくれる人たちがそこにはいたのだ
それだけでなくわたしの”だらしない”、”恥ずかしい”出来事を
”面白いエピソード”として話しては、優しい顔して笑い転げる
それをまた別の人が聞きつけて
”真面目でちょっとお堅い感じかと思ってたら、めちゃめちゃ面白いじゃん!ゆっくり話聞かせてよ”
と、どんどん輪が広がって気が付いたら気の許せる友達に囲まれ、わたしも一緒に笑ってた
”失くしモノ”だって嫌な顔ひとつせず一緒に探してくれた
友人がTwitterで大学の知り合いに向けて呼びかけてくれて財布が見つかったこともある
2回目以降は、慣れたもんで
自分でTwitterに書き込んだ
『アパートの鍵失くしました、、くまモンのキーホルダーが付いています。もし見つけたら教えてください。』
いつものことで涙目のわたしのことはお構いなしでコメント欄は”笑い”と”やさしさ”が集合していた
『またかいww』
『またみんなに心配かけて~(笑)拡散するから元気だしなね!!』
それだけじゃない
『今日行ったカフェに電話してみよう!』『警察に一緒行こうか?』
と沢山の選択肢をくれる
わたしが落ち込んでも
『失くしても死にはしないから大丈夫よ!』と笑いかけてくれた
『なんだ、わたしの”だらしない性格”は、あんなに責めたり思い悩むものではないのか。』
わたしの生活は少しづつ変わり始めた
幼い頃は失くしものをする度に、心臓のバクバクが止まらなくて
”神様一生のお願いです。お母さんとお姉ちゃんにばれる前に〇〇を見つけてください。”
と一人部屋で泣きながら唱えた
”一生に一度のお願い”を、わたしはもう軽く50回は使っていると思う
でもいつからかそのおかしな習慣もなくなった
それは大学で優しい友人たちに出会えたことが間違いなくきっかけであり、今までもらったあたたかい言葉を今でもときどき思い出して抱きしめている
わたしは長年悩んできた”生きづらさ”と優しいみんなの反応のギャップがまだ信用できない最初の頃に
『こんなに”だらしなくて”ごめんね』
これまで何度も怒られ傷ついてきた言葉を、自分で使って謝ったことがある
そんなときも友人はいつもと同じように笑いかけた
『なんで?全然だらしなくないよ!〇〇は、誰よりも優しいし、誰よりも周りのこと考えてるじゃん。その分”自分のこと”には無頓着すぎて心配になるけど、”不器用すぎる”だけでしょ。アホだなぁ~って笑うことはあるけど、別に誰かを傷つけてるわけじゃないし、気にすることじゃないよ。〇〇はみんなに愛されてるから不器用な分は周りが補うから大丈夫!』
あまりにもあたたかくて、言葉より先に涙があふれた
涙と一緒にずっとつっかえていた錘もさび付いた心の鎖も外れ、流れ出たのかもしれない
”不器用すぎる” ということばがあまりにもスッとわたしの心に降りてきた
身体がとても軽くなった
相変わらず、何もないところで転ぶし、ぼーっとして電車は乗り過ごすし、人間関係ですぐに傷ついてしまうし、”失くしモノ”も多い
”不器用なだけ”
そう思えるようになってから、今までのような”失敗”の日々でも、必要以上に自分を責めなくなった
今でも不器用な自分に慌ててしまうことはあるが、対策やフォローまで考えることができるようになった
わたしなりに、一歩一歩前進している
何かやらかしても、
”まぁ、こんな日もあるよね”と、言いながらも
自分でも笑ってしまうときさえある
上手な生き方なんて知らないけど、今わたしはしあわせ
多分、とってもしあわせ
自分の”不器用さ”を補えるくらい笑って生きていけたら良いな
初心者ですが、これからの活動費にさせて頂けたら嬉しいです。最後まで読んでくださって有難うございました!