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迷ったら険しい方を選ぶ、その方がワクワクするから


30歳を目前とするアラサーフリーランスwebデザイナーのわたしだが、
社会人になるまで「自分で考え、決断する」ということを全くしてこなかった。

なんならその事実を気にも留めていなかった。

進学も就職も、プライベートも、常に親や周りの顔を伺いながら過ごしていた。なんの疑いも持たず。

初めてその状況に、不安を覚えたのは就職を控えた大学4年の頃。

友人たちが、各々夢を語り、就活に励んでいた。

「大学も自分で決めたし、就活も、内定も事後報告だったけど、決まったら親も喜んでくれたよ」
親から提示された条件や選択肢しかこれまで無かったわたしにとっては、衝撃だった。友人たちがかなり眩しくて、苦しくなった。

これまでだって、チャンスが無かったわけではない。
大学進学時には「東京の大学で、英語をもっと勉強したい」と思った時もあったが、自分で思考し決断する習慣が無かったため、経済的にも親に甘えていたからこそ、自分には決定権がないと思い込んでいた部分があったのだろう。簡単に論破(?)され、地元の国公立大に行きなさいと言われたから、そうした。

ただそれだけだった。


そんなわたしが自分で決断するようになったのはここ3〜4年のこと。


<住む場所>
家族と距離が近すぎて上手くいかないことが多くて、突然地元を出て東京へ飛び出したこともあった。実際には上京後も、様々な壁にぶつかり無職になったり、友達の家で居候をさせてもらったりの時期を経て、地元に戻ることになった。今も地元に住んでいるけれど、以前とは全く気持ちは違う。進学も就職も「地元で」という親からの要望に理由もなく応えていた日々の窮屈さはない。地元ではあるけれど、家族とも程よい距離感に変化し、関係も良好になった。“地元が嫌い”になったわけじゃなかった。親や親族や仕事の為でもない『自分で決めた場所で生活している』この事実が嬉しい。


<仕事>
大学卒業後、教員へ。これは公務員家庭である親族一同の願い。そして就職を決める年に亡くなった教員だった父の想い。無理強いをされたわけではないけれど、当時のわたしにとっては「わたしがやらなきゃ」と重くのしかかっていた。でも、教員を続けるには自分の強い意志がないとしんどくなってしまうことに気付いた。「辞める勇気」もわたしを一歩前へ進ませてくれた。

この頃から、「決断すること」の練習をしていった。
「自分の観たい映画を友達に提案してみよう」とか、「仕事頑張ったから自分にご褒美を買ってみよう」とか。本当に小さなことから。

そして約3年前。起業した。場所にも人間関係にも縛られないフリーランスという働き方。このスタート地点に立つまでに「まだ試練があるの!?」「神様、まだまだわたしは落ち着いてはダメですか!?」と投げ出したくなるような様々な困難もあったが、この決断はわたしにはとても合っていた。

知らないから不安になること。やってみなきゃ分からなかったこと。
一歩踏み出して良かった。


「これからあなたたちは、様々な場面で決断をしないといけない。そんなとき「楽な道」と「険しい道」があったら、必ず「険しい道」を選んでみなさい。その方が成長できるから。


高校のとき恩師に言われたこの言葉。自分の未来について考えてもいなかったわたしは、少し遅くなってしまったけれど、今ならこの言葉の意味がよく分かる。


<恋愛・結婚>

お付き合いしてた彼氏にこんなことを言われた。
「過去も今も、自分以外のことを優先しすぎだと思う。そこまで周りを思いやれるのは素晴らしいことだけれど、これからはもっと自分のために、生きていいんだよ」と。

そんな彼が今、わたしの夫になった。

25~26のわたしに「結婚」という選択肢が自然と出てきたことに驚いた。出会ってから1年も経たずに結婚したけれど、それくらい時間を必要としなかった心地良い関係性。わたしのことをとても大切に想ってくれる人だから、わたし自身も自分のことを以前より大切にできるようになったし、自分のことが前より好きだと感じる。自己肯定感を爆上げしてくれる最高パートナー。
わたしが自分で選んだひとだから。とても愛おしい。

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思考の先にある決断、決断の先にある新しい世界。

失敗しても良い。自分で決めたことだから、宝物になる。

これからも、そういう世界でいてほしい。

初心者ですが、これからの活動費にさせて頂けたら嬉しいです。最後まで読んでくださって有難うございました!