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主に哲学の本を読んだ感想などを書いていきます。

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最近の記事

Re:「精神現象学」を読む、その7 I. 感覚的確信

精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録です。 今回は「I. 感覚的確信」です。 以下本文開始。 まずは「精神現象学」の試みを思い出してみましょう。素朴な意識が、外部の介入なく内在的な論理でさまざまに形態を変えていき、最終的に純粋な魂、つまりは概念と対象の完全なる一致を目指していくのでした。  そのようなゴールがあるということは、なんとなく頭の片隅にでも置いておきながら、まずは素朴な意識からスタートしていきましょう。ここに、精神現象学における弁証法的運

    • 詩コンプレックス

       僕は詩というものの良さを解さない人間だ。  それは一つの大きな劣等感として存在している。わからないものに対する態度は二つ、追い求めるか、取るに足らないと切り捨てるか。ぼくは詩をつまらないものだと遇らうことができない。ただ強烈に追い求めているというわけでもない。心の片隅で、ずっと詩のことが気になっている程度だ。  最近は谷川俊太郎がマイブームになっていた。なんだか良さがわかる気がしてきた。だが、うまく掴みきれない部分も多い。だから入門的な何かを読みたいと思った。  かつて入門

      • ボカロとニコ動、ただ懐かしむだけ

         最近はボカロを聞かなくなったな。  自分の趣味趣向の変動を感じると、物悲しくなる。かつての輝いていたものたちが、もうあのころの輝きを発しなくなった。もちろん今でも聞くといいのだが、なにか大事なものが抜け落ちてしまったような。  学生の頃は通学中つねに聞いていた。  当時は、ipodなるものに音楽を詰め込んで持ち歩くのが普通だったが、もうこの感覚も伝わらなくなるのだな。  どのような曲を聴いていたのかふと気になり、古のボカロランキングを見てみる。  なんだか、開けてはい

        • Re:「精神現象学」を読む、その6。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録。 今回から「はじめに」にはいります。 はいりますといいましたが、今回の記事で「はじめに」は終わらせてしまいます。端折って超訳している部分も多いですが、悪しからず。 以下本文開始。 はじめに(p.51 - p.63) 哲学は、絶対的な真理を求める学問です。では、その真理を知るためには、どうする必要があるでしょうか?  まずは、通俗的な認識論を一瞥していきましょう。  真理に限らず、何かを知るには、その何かを「

        Re:「精神現象学」を読む、その7 I. 感覚的確信

          Re:「精神現象学」を読む、その5。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録。 以下本文開始。 まえがき(p.30 l.21 - p48)  しつこく、真の学問観をわたしたちに教えてくれます。ここでは簡略化した図式で思い出すことにしましょう。  単純な実体→否定による分裂→再統一による新たな単一な実体 このような概念の運動が学問・哲学なのだ、ということです。  今回の記事で、まえがきの最後までまとめていきます。個人的に、かなり内容に重複があるように感じるので、重複と感じる部分は思いっき

          Re:「精神現象学」を読む、その5。

          Re:「精神現象学」を読む、その4。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録。 以下本文開始。 まえがき(p.25 l.18 - p33. l.20) 前回に引き続いて、他の学問と哲学の違いについて言及していくことになります。  特に、数学との比較に力が入れられています。数学をなかなかディスってますが、それがどこまで妥当なのかの判断は、私にはできかねます。ただ、ヘーゲルの主張をかいつまめば、次の2点に集約できるでしょう。 ・命題が真/偽のどちらかにキッパリとわかれてしまう(つまり概

          Re:「精神現象学」を読む、その4。

          マイナス内包というアクロバシー 〜マイナス内包は存在可能か?〜

           この記事では、入不二基義「現実性の問題」の「第7章 無内包・脱内包・マイナス内容」での議論を俎上にして、マイナス内包の存在可能性について考察していく。  まず、マイナス内包とはどんなものなのか確認しておこう。  端的に言ってしまえば、「概念からも解き放たれたこの感じ」がマイナス内包である。これだけでは説明になっていないので、もう少し詳述していく。  ここでは「痛み」を具体例として考えていく。  私たちはこの世に生を受けた瞬間、何ひとつも言葉を発することができない。それ

          マイナス内包というアクロバシー 〜マイナス内包は存在可能か?〜

          受肉と命名

           私が使っているJというユーザー名、これは中学時代のあだ名だ。なぜ今もこの名前を使っているのか?この名前が気に入ってるから今も使っているというわけではない。ただ、私には、自分に他の名前を命名することができないから、この名前を使っている。  中学生になった頃、私はおそらくイジメられていた。おそらくと言ったのは、それほど過酷なものではなかったからだ。私の周りを見たら、もっと酷いイジメを受けている人がいたため、イジメられたと簡単には自認できないかった。しかし時間がたった今、自分を

          受肉と命名

          Re:「精神現象学」を読む、その3。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録です。 以下本文開始。 まえがき(p.16 l.10 - p.25 l.17) 絶対的に自己の外部に出ていきながら自己を認識すること、この活動の場(エーテル)が、学問のおおもと・知の一般であるといいます。これは前回の復習ですね。  しかし、上のような学問観は、その他の学問の態度とはかなり違ったものです。他の多くの学問は、自分が対象を認識するという構造のはずです。至極当たり前な態度ではあると思います。しかし、哲

          Re:「精神現象学」を読む、その3。

          Re:「精神現象学」を読む、その2。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録です。 では、以下本文開始。 まえがき(p.010 l.18 – p.16 l.9) 哲学において「まえがき」的なもの、他の説と比較考証して自説の要点をまとめることの不要性を最初に説いたヘーゲルですが、ここで一旦譲歩して、そのようなことも少しは有用かと判断します。 ここで「精神現象学」の根本的な展開が提示されます。 まず「真理≠実体」というふうに言い放ちます。では、「実体」とはなんでしょうか。ここでは、「固定

          Re:「精神現象学」を読む、その2。

          小姑な子ども

           私は食にうるさい。小さな頃からそうだった。その片鱗は、幼稚園児の頃からあった。母はいつも朝食に、ご飯と目玉焼きを作ってくれていた。目玉焼きは、ベーコンやウインナーが一緒くたに焼かれていた。私にはその目玉焼きにたいして、どうも気になることがあったらしい。それは、卵の黄身の焼き加減にばらつきがあることだった。私はあるとき母に向かってこう言ったそうだ。「なんで今日はトロトロじゃないの?」と。  正直、そう言ったことは記憶には残っていない。しかし、そのようなこだわりがあったことは漠

          小姑な子ども

          タケルと銃

           タケルの手には拳銃が握られていた。もちろん、本物だ。ここは日本であり、拳銃を所持することは基本的に禁じられている。しかしタケルは拳銃を握っていた。  タケルは警察官ではない。これが日本で銃を合法的に持てる、一番良くある筋だとお思いかもしれないが、そうではない。それでは、ヤクザや半グレの類か。そうでもないのだ。映画「日本で一番悪い奴ら」ばりの、チャカを手に入れるために奔走する、ヤクザか警官かわからない存在でもないのだ。  ではなぜ、タケルは銃を持っているのか。そう、撃つため

          タケルと銃

          Re:「精神現象学」を読む、その1。

          精神現象学(著:G.W.F.ヘーゲル・訳:長谷川宏)の読書記録です。 今回の目標は、とにかく完走することにあります。 というわけで、すべての論脈を拾っていこうという方針ではなく、議論の骨格だけでもしっかりと掴んでいき、内容をできるだけ掴んでいくという方針をとります。 ですので、自分勝手に用語をパラフレーズ・導入したり、ある議論はまるっきり省略したり、はたまた議論の順番を入れ替えたりすることで、少し強引にでも理解するという方向に重心を置いていきます。 では、以下本文開始。 ま

          Re:「精神現象学」を読む、その1。

          Re:ゼロから始める精神現象学

          こんなタイトルにしたが、まったくリゼロとは関係ないです。最初にそれだけ断言しておきます。ただ、思いついてたから書いただけです。 以前、「精神現象学」を読みながら読書記録をつけていました。数ページごとにちまちまと内容をまとめており、我ながら順調に進んでいましたが、途中で座礁してしまいました。 いちど「精神現象学」を離れて別の本を読んだことがきっかけで、「精神現象学」の波長にうまく合わせられなくなってしまいました。そして結局積読状態となっていたのでした。 基本気にせずにいたので

          Re:ゼロから始める精神現象学

          外面の知識を身につけよう!

          これは最近の抱負だ。 考え方的には、「読んでない本について堂々と語る方法」みたいな感じかな。 「本を読む」という行為は、なかなか問題含みだ。なぜなら、大変曖昧であり、変な道徳がこびりついているからだ。 まず曖昧について。 なにが曖昧かというと、「本を読んだ」という状態が曖昧ということだ。大抵の人は、本を読んだそばから内容を忘却していく。もちろん全てではなく、読み通す上での勘所は覚えているはずだが、それでも細部は忘れていく。ひどい時は、大事なポイントまで忘却してしまう。そん

          外面の知識を身につけよう!

          孤独な共笑の地平の消失

          まっちゃんが芸能活動を休止した。 時事問題にあまり興味はないが、とてつもない喪失感がある。まだ引退したってわけでもないのに。 まっちゃんがやったことを擁護したいとか、そんな気持ちは微塵もない。かといって、批判したいわけでもない。 TVにまっちゃんが今まで通りに出られないことが、ただただ悲しい。 自分がこの世と関わりを持てていたのは、笑いによってだと思う。スクリーン上に映る何かに対して笑うことで、それを見ている人と繋がれていた。 実際に隣に誰かいる必要はない。逆に、隣に誰か

          孤独な共笑の地平の消失