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[ショートショート]江ノ島ですか?

 埼玉のとある街のヤンキー。
 喧嘩上等。唯我独尊。換骨奪胎。温故知新。中学三年生。
 それが俺。夜露死苦。

 今日も今日とて良い天気だ。
 なので、授業なんてサボって、屋上で寝ていた。

「田中くん、ダメじゃん。授業サボっちゃ」

 突然、女に起こされた。
 目の前にいたのは、同クラの伊藤だった。

「んだよ。お前もサボってんじゃねぇか」

 そういえば、コイツは学級委員とかなんとかのはずだったな。優等生ヅラしてる割にサボりとは、なかなかやりやがる。

「んー、私のはサボりっていうのとは違うかな」
「授業に出てなけりゃサボりだろうが」
「残念。私は先生に言われたんです。田中くんを探してくるように、ってね」
「んだよ、センコーのパシリじゃねぇか」
「……本当だよねぇ。私だって、勉強したいんだけどな」

 伊藤は髪をかき上げた。
 長い髪から見える耳元にはピアスの穴が空いていた。

「ほー。そりゃ悪かったな。でも、俺は授業になんて出るつもりはねぇんだ。田中は見つかりませんでした、って帰んな」

「んー、いい天気だねぇ」
 伊藤が伸びをする。
 胸元の膨らみがより強調されていた。

「あー、見たな。エッチ」
 笑って舌を出す。少しばかり可愛かった。

「せっかくだしね。もう少しだけ、のんびりしようかな、っと」
 ヨイショ、と伊藤が隣に腰掛ける。
 コイツの顔を、間近で見たのは初めてだ。そもそも黒板の前にいるなと思う時以外に、コイツの存在を意識したことすらない。お堅い生真面目な奴だと思ってたから、近寄ることもなかったしな。

「んだよ。授業出たいんじゃないのかよ」
「まぁまぁ、こんな天気だしさ。かたいこと言わないでよ、田中くん」
 伊藤が俺のおでこを軽くつつく。
「——ま、まぁ、俺はどうでも良いけどよ」

 風がそよぐ。
 伊藤の髪が揺れると、ほんのりと優しい香りがした。

「田中くんはさ、この街を出たい、って思ったことない?」
「あー? なんだよ、いきなり。まぁ、出たいっつーか、海に行きてぇなぁ、とかはあるけどよ」
「あー、いいよね! 海」
「だよなー。伊藤も海、好きなのか?」
「んー、私が、っていうわけでもないんだけど」
「なんだよ、嫌いなのかよ」
「いや、嫌い、ではないかな……」
「ふーん」

 伊藤は雲の行き先を眺めているような目つきで、屋上のフェンスを見つめていた。

「あの、ね……この前、江ノ島に行ってきたんだ。江ノ島エスカー、っていうのがあってね」
「お、おう……」
「観光スポットっていうからさ、期待して乗ったら、ただのエスカレーターだったの。しかも、たっかいの。もう笑っちゃった」
「ふーん」
「でも、その先にある展望台は、綺麗だったなぁ……」

 伊藤の目の先には、その江ノ島の展望台とやらの光景が広がっているのだろう。
 俺から見えるのは、ただの空とマンションだけだ。

「そこでね、言われたの。『別れよう』って」
「え?」

 スズメが飛んでいた。
 小さいくせにこの高さまで飛んでくるのは、案外大変なんじゃないかと、そんなことを思う。

 ごめんね、こんな話。つまらないよねと言って、伊藤は立ち上がる。
「じゃあ、行くね。田中くんも、次の授業は出るんだぞ」
 スカートを軽くはたく姿が、妙にゆっくりと見えた。

「なぁ。海……行こうぜ」
「え?」
「今から、海、行こうぜ」
 不意に口を突いて出た言葉だった。もう引っ込めることはできない。

「んー」と悩む伊藤。
 女が唇に手を当てる時というのは、だいたい答えが決まっている時だ。姉貴がそう言っていたことを思い出した。

「江ノ島、ですか?」
 伊藤が微笑む。
 その唇が妙に瑞々しい。

 俺は海も、実はキスもまだ初めての、少年だった。

<リスペクト>
『江ノ島エスカー』 ASIAN KUNG-FU GENEARTION

#クリエイターフェス  #ショートショート

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