電車の前席で話す男の子から、わくわくの源を思い出す
鉄道での移動には、車や徒歩、自転車とは違った「ワクワク感」がある。
日頃使わない乗り物。どこか遠くへ行くような感覚。
このワクワク感、特に幼少期に感じたワクワク感が、今の自分の好奇心の原点なのかもしれない。
1
移動で電車に乗っていた。
クロスシートの車両。前席に座る親子。
その男の子の話し声は、意図せずとも聞こえてくる距離にあった。
何気ない親子の会話。鉄道に興味津々な男の子の話を優しく聞いてあげるお母さん。特急列車に乗車して、ちょっと遠くへ買い物といったところか。数駅して親子は降りていき、車内は再び静寂に包まれた。
考えてみれば、僕も幼少期、あんな子どもだった。
幼少期のことが、ふと脳裏を過ってきた。
2
幼少期から、電車でのお出かけが好きだった。
車でのお出かけも楽しかったけど、電車が一番楽しみだった。
(実家付近を走る電車の多くが電車だったため電車と記すが、もちろん気動車や汽車が嫌いというわけではない)
あんなに苦労して覚えた英単語や歴史人物と比にならないくらい、駅名や形式もいつのまにか覚えてしまっていた。それくらい、鉄道旅行(といえるほどの長さではないが)の魅力に取りつかれていた。
旅の過程で生じる、「これ何?」「これすごい!」「これどうなってるの?」という疑問。それが解消された際の気づきや新たな疑問の誕生。
こうした感情が、まだ見たことのない新たな景色を見たいという好奇心になって。
このまちをもっと知りたい、この世界をもっと知りたい。
そうして僕の今に至る知的好奇心が育まれていった。
3
中学生までは、電車は「非日常の時間」だった。
高校生になり、電車通学が始まると、電車が「日常の時間」に変わった。
あの頃のワクワクは慣れ親しんだ電車からは感じられず、部活後の睡眠や友人との会話、テスト勉強の場となることで、目的としての電車移動からは離れていた。
大学生になり、再び電車は非日常の時間に変わった。
遠方に行く際には夜行バスの方が安いため、鉄道に乗る機会も減った。
それでも例外は18きっぷだった。今のように移動が制限される前には、鉄道旅行に重宝し、ふらっと降り立った駅付近のまちをふらっと散策していた。
降りた先で、電車の中で、まちやまちを構成する要素のちょっとした変化や特徴に気付けば、その瞬間僕はそれに惹きつけられていた。
そんな時間が楽しかったし、そこでの発見や人との交流が今の自分を構成する一部となっている。
4
特急で出会った男の子には、もう二度と出会うことがないだろう。
いや、万が一出会ったとしても、僕の性格上おそらく気付いていないだろう。
そんな男の子が降りる際、僕は心の中でメッセージを告げた。
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