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仮初の安全と声色の呪縛_1

 僕の高校時代の思い出は、この海が全部知っている。友人との進学についての会話だったり、苦手な女性の対応の悩みだったり、家族との意見の食い違いについての愚痴だったり。もちろん嬉しかったことだったりもだ。僕はあらゆる感情を海に話してきた。
 鮮やかなオレンジに染まった空に彩られ、どこまでも広がる夕方の海が僕の大切な記憶を呼び覚ましてくれたのだろうか。それともただ考える時間があったからだろうか。僕は親友を待っている。退屈さを凌ぐために缶ビールを飲みながら。
「慶太、もう飲んでるじゃん」
 ゆったりとしているのに、やや野太い声が聞こえてきた。生駒淳だ。高校を卒業してからは会っていないので2年ぶりの再会だ。高校生の時からおじさんみたいだったが、相変わらずだ。当分は年齢が容姿に追いつくことはないだろう。40歳くらいになれば、年相応に見えるようになるかもしれない。
「本当だ。これから横浜で飲むのにお前何やってるんだよ」
 遅刻してきたことの謝罪より、まずはツッコミを入れてくる。丹羽隆太だ。隆太とは中学から一緒に過ごしてきた。ただ、最近は会う頻度が落ちている。今日は同窓会だから、いつもより気持ちオシャレに仕上げているようだ。
「あれ、隆太また髪型変わってるじゃん。淳は相変わらずおっさんだな」
 二人に缶ビールで乾杯のポーズをすると、淳が20歳とは思えないビール腹をさすり、隆太はそれを見てゲラゲラと笑う。思わず僕もそれに釣られて笑ってしまう。笑いの連鎖。やっぱりこの3人が揃うと単純に楽しい。僕の事をなんでも知っているから、見栄を張る必要がなくて気も楽だ。
「慶太、もう高校には寄ったのか」
「いや、まだ行ってない。3人揃ってから行こうと思っていた」
「相変わらず律儀に空気読みますな」
 と隆太が言った。僕らが通っていた高校は、海から徒歩1分の場所にある。同窓会の前に高校を見に行くことを隆太が企画してくれたのだ。隆太と僕が住んでいる最寄駅からだと高校は横浜駅とは逆方向にあるのだが、淳の家が高校の近くにあるから、3人の集合も早くなるのでちょうどよかった。隆太とは帰りの電車がいつも一緒だったが、淳とはめったに一緒に電車に乗らなかったので密かに楽しみだ。3人で電車に乗った回数は少なかったが、100%得られるリアクションも忘れられない。淳は車内の人からすると隆太と僕の保護者のように見えているようで、保護者と子供がタメ口で話している姿に違和感を覚え、困惑した顔をする。僕たちはそれらの顔を見るのが大好きだ。3人とも性格が悪い。

「それじゃあ、男だらけの高校に行きますか」
 僕らが通っていたのは、男子校だ。男だらけというか、男しかいない。夏の授業では、冷房を18度に設定しているにもかかわらず、全員が制服のズボンをまくり、上半身はTシャツ姿になる。先生たちはその光景を見慣れているため、特に何も言わず淡々と授業を進めていくのが懐かしい。今思うと異様なことだが、それが僕らの普通であり、日常だった。むしろ大学に入学して、授業を聞くときに隣に女性がいるから、きっちりした服装で授業を受けないといけないことに困惑していた時期もある。最近、やっと慣れてきたが。

 3人で正門から校舎を眺めた。僕は特に感情が湧くことはなかった。二人はどうだろうか。隆太が無言で駅に向かって歩き始めたので、僕らは学校を後にすることにした。ただ眺めるだけで隆太の企画は終了。しばらくすると、このあまりにも意味がなかった行動が無性に笑えてきて、思わず声を出してしまった。
「びっくりするくらい何も話すことがなかったよ」
 と僕が言うと、二人も腹を抱えて笑い始め頷いた。
「普通、誰かが先生との思い出を話し始めるだろ。でも、俺も慶太と一緒で何もなかったよ」
 まだ笑いが止まらない隆太が言った。
「そうだね。何でだろう。たくさん思い出はあるはずなのに。僕も話す気にはなれなっかね」
 淳は駅を眺めながら言う。2年前まであの学校に通い、色々なことを体験した。だが、いざ校舎を見ても言葉は出てこなかった。人は濃密な時間を過ごした場所の前に立つと言葉を失ってしまうようだ。

 この3人は本当に安心する。みんな同じ気持ちなのに、あのまま校舎を見て無言であったことが、横浜駅まで話題に上がらなかったら、おそらく僕はずっと悶々とした気持ちになっていたと思う。
「言葉には出さなかったけど、一つだけ頭に浮かんだのは、2年の時の三者面談かな。翌日の全員の冴えない顔は今思うと笑える」
 淳の言葉に隆太が続く。
「そうだな。みんな全然うまく対応できてなかったな。特に慶太はひどいを通り越して、面白かった」
 確かに三者面談の僕は、今の僕から見ても対応が良くなかった思う。もう少し上手くやることもできたような気もするが、あの時の僕は少しばかり正直過ぎた。自分の事なのに他人の事のようにしか思えず、将来についても考えられなかった。もっと言うと想像ができなかった。あの時の僕は、あまりにも無知であり経験不足だった。まるで家猫のように、ただ家の窓から外の世界を眺めているだけ。夏の暑さや冬の寒さ、雨の冷たさを知らなかったのだ。安全はいつまでも確保されているものと考え、自分はずっと守られていると勘違いをしていた。外の世界で何が起こっているかを知ろうともしていなかった。
「大学って平和だよな」
 と隆太がボソリと言う。
「どうせまた進路のことを考える時期になったら、ウブな僕らは悩むんだよ」
と僕は言う。
 3人のイメージは一緒。あの日の三者面談を思い出している。

(つづく)

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