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コハルの食堂日記(第17回)~平成最後の桜②~

 一旦、時間軸を昭和六十四年一月に戻す。

 天皇陛下がご危篤の中で迎えたこの年の正月。そのため、せっかくの正月なのに、世間様においても普段の年より正月の祝いも地味であった。もちろん、年末のイベント、クリスマスや忘年会も「自粛」という名目であまり盛り上がらず、であった。
 ソウルオリンピック開会期間中でもあった前年昭和六十三年の秋に、天皇陛下が容態を崩されて以来、世間では「自粛」モードが続いていたのだ。のちの時代にはバブル景気と呼ばれ、羽振りがよかったはずのこの時期。それに反してテレビでも天皇陛下の体調について随時報道されるなど天皇陛下のご容態について心配される状況が続いていた。

 昭和六十四年一月七日の早朝、西暦では一九八九年の新年が始まってすぐに天皇陛下は崩御され、その日の昼過ぎ、小渕恵三官房長官によって新元号「平成」がテレビを通して全国民に発表された。
 なお、後日談にはなるが、この小渕恵三という男、この十年後には内閣総理大臣に任命されるも、その在位途中に突然病によって倒れ、そのまま帰らぬ人となる。なお、「平成」の色紙を掲げる小渕氏の姿は「ITの時代」ともなった平成において、インターネット上でなぜか人気の画像として再び注目を集めるところのものとなってしまうのだ。

 さて、昭和天皇が崩御された昭和六十四年、一九八九年一月七日の土曜日。この日も「味処コハル」は通常営業だった。当時春子は三十四歳、夫の勲は三十歳。「味処コハル」も開店四年目の新年を迎えた。ご近所さんの信頼も得始めて、「味処コハル」の営業も軌道に乗りはじめた頃であった。
 昼の営業を終え、夜に向けて「準備中」の時間に入った「味処コハル」。そのテレビが小渕氏が新元号を発表するところを映し出す。
――新しい元号は『平成』であります……。
 新しい元号は「へーせー」か。昔だったら不敬罪沙汰かもしれないことだけど、なんともお間抜けだわねぇ。
 それが新元号の名前を聞いた春子の第一印象だった。

「明日から平成、か……。昭和も今日限りで終わっちゃうのね……」
 昭和最後の「味処コハル」夜の営業。世間の自粛ムードに合わせるかのように、お客さんも少なめであった。
 往く昭和、そして来る平成。世界恐慌に始まり、満州事変の勃発から太平洋戦争の敗戦までの十五年戦争、そして高度経済成長。それはオイルショックなどの影響で終わり、人々の価値観も多様化してきた。そんな、日本がすっかり豊かになったはずの六十年余りの激動の「昭和」に対して、「平成」はどういう時代になるのだろう。

 平成元年。この年は四月から「消費税」の導入がなされた。これに関しての法案も自粛ムード下であった前年のクリスマスイブに国会を通過したのだった。
 三パーセントの消費税。お客さんからは渋い顔をされるけれど、経営維持のためにも、メニューの価格への上乗せは仕方ない。お国のために、というか国民の福祉のために、使われるのならいいのだけれど。

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