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連載「十九の夏」【第一回:プロローグ】

 新潟県湯沢町、越後湯沢の駅。冬はスキー客を中心に賑わいを見せるここ湯沢の地。ときは八月の上旬、夏は夏で避暑客や観光客などの訪れもあるが、避暑なんて出来る立場の人間はスキー客と比べるとごくわずかだ。まだお盆の時期にも早いので観光客もそう多くはない。冬は白銀色になるはずの山々は、今は青々とそびえている。山の合間のところどころに入道雲が上がっている。空も遠く向こうの日本海から拾ってきたかのような夏らしい青さを見せている。

 ひとりの青年が、越後湯沢駅の一番ホームの椅子に腰を下ろしている。背は少し高めだがやせ型の、黒ぶちの眼鏡を掛けて、明るい色のジーパンに薄青の半袖のTシャツを着ている青年。正午を少し過ぎた時刻を指している駅のホームの時計の文字盤を見て彼はつぶやく。
「あと二十分、かぁ……」
 彼の名は折原夏樹(おりはら・なつき)。東京の大江戸理科大学(おおえどりかだいがく)の一年生、十八歳。この春に大学進学のために地元の富山県から上京してきた夏樹。数日前に大学生として初めての学期の期末試験を終えて、夏休みに入ったところだ。今は富山の実家に帰省しようとしているところである。大学に入って最初の長期休暇なので、とりあえずしばらくは実家に滞在するつもりである。

 東京から富山県を含む北陸方面を訪れるには、東京駅を出る下りの上越新幹線で越後湯沢の駅に向かい、さらに越後湯沢から途中直江津で北陸本線に接続する通称・ほくほく線に乗り換えて金沢方面へ向かう必要がある。もっとも、数年前の長野オリンピックを機に開業した東京と長野を結ぶ「長野新幹線」が、あと十年余りもすれば「北陸新幹線」として、富山・金沢方面まで延伸することが決まっているという話だが、それもまだまだ遠い未来のことではある。

 ダイヤの関係でその乗り換えもすばやく行う必要がある。上越新幹線「たにがわ」の越後湯沢への到着と、ほくほく線の特急「はくたか」の越後湯沢からの発車までの時間差はものの十分か十五分程度。夏樹は今日、その乗り換えに失敗してしまったのだ。そうなれば、次の「はくたか」まで一時間ばかりは待つことにもなるし、当然ながら指定席券も無効になってしまう。
 前々からちょっとおっちょこちょいというか抜けたところの目立つ夏樹である。過去、鉄道の利用にもそう慣れていなかったときには、切符を落とすといったような鉄道利用者として致命的なミスさえも何度か犯してきたくらいなのだ。悪く言えば「のろま」なのかもしれない。

 さて、夏樹の通う「大江戸理科大学」、通称「エドリカ」は、東京都二鷹(にたか)にキャンパスが存在する国立大学である。大学附属の天文台をも敷地内に抱える日本の国立大学の中でも旧帝国大学にも劣らない難関の理科系の総合大学である。

 「東京に空がない」と昔誰かが言ったようだ。その言葉の真意は今となっては解らないけれど、その言葉を言った人がいよいよ二十一世紀に突入した現代の二鷹を知っていたら、生まれなかった台詞かもしれない。何せ、天文台を敷地内に抱えているくらいなのだから二鷹の街からの星の眺めは、都内からとしてはじゅうぶんに良いのだとは思われる。もっとも天文台で何を研究しているのかは門外漢には推し量れないものがあるが。そもそも東京都内でも郊外にあるはずのベッドタウン・二鷹市「江戸」、しかも「大江戸」などと呼んで良いものなのだろうか。学園都市としては最高の立地にはあるのだが。

 そのうち、越後湯沢駅の一番ホームに回送列車が折り返してきた。この車両が次は富山・金沢方面に向かう客車となるのだ。先程着いたばかりの上越新幹線から乗り換えようとする乗客で混み合いつつある。先にホームに居た夏樹は、混み合う直前ぐらいから既に自由席の車両の乗車位置の前に立って待っていた。
 乗車が始まる。今度こそは無事に乗り込み、席も無事に確保した夏樹。やがて、発車音とともに動き始める「はくたか」号。真夏の青々とした山々を横目に、夏樹たちを乗せて富山の方向に少しずつ近づいていく。

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