個性豊かな解釈で、世界は広がっていく【詩の作者になりきるワークショップ】

こんにちは、ナカノです。
詩やコラージュの制作と、ワークショップの企画を行っています。
noteでは主に詩を掲載しています。

この度、詩についての新しいワークショップを企画いたしました。
内容は、参加者の方に「詩の作者になったつもりで、一つの『詩』の解説を書いていただく」というものです。

「同じ作品でも、感じ方や解釈は人それぞれ」というのはよく言われますが、その多様さや面白さを、深く体験していただくことはできないだろうか?と考えたのが、このワークショップです。

テーマとなる詩には、僭越ながら自作の「羊になることにした」を選びました。
この詩を様々な方に読んでいただき、「自分が作者になったつもりで」という条件で、自由に解説を書いていただきました。

個性豊かな「詩人たち」の思いを読み、ご自身の解釈とも合わせてお楽しみください。



【今回のテーマ詩】


詩人Aの解説

周りの変化に合わせるために変容しなければならない。それが自分の意とする形ではなくとも。
しかしその変容はともすれば案外悪いものでもないのかも知れない。


 詩人Bの解説

一人であり続けることに疲れたのか、羊のような、個がありながら個でないような、そんな群衆の一部になってしまったとき、孤独が私を傷つけることはもうないのだという安心感があった。
しかし、これまでの私を知る友人は、今の私を見てどう思うだろう。それについては、長い弁解をしたいような気にもなる。
いずれ私は個の思考を失うかもしれないから、孤独と決別することに決めた(あるいは群衆の一部に紛れた)この日のことを一つの詩として、ここに書き残したいと思う。


詩人Cの解説

傷ついて流れる涙を見ると、水と空はどこまでも繋がっているのだと思う。
私の悲しみが、いつか形や色を変えてあなたを癒す存在になるように、この詩を書きました。


詩人Dの解説

眠れないときに数える羊はどこからやって来るのか。
誰が羊になるのかや、その理由は様々で、今回はその一つを考えました。


詩人Eの解説

自分がいつも自分であることに疲れたときは、ひとりで雑踏に紛れると落ち着きます。眠るのと同じような感じかもしれません。
人波に流されていると、傷ついたことも誰でもよくあることなんだと感じられて、ゆるされた安心感に包まれます。
とはいえ、他の誰でもない自分のことを好きなひとがいたらうれしいし、そういうひとたちに見つかりたいという期待はなくなりませんが……


詩人Fの解説

弱い自分を隠そうとして強がっても、そんなに強くは見えない
そうしていると本当の自分が何なのか分からなくなる
自分で分からないのに他人が分かるのだろうか
でも君には分かっていて欲しい


詩人Gの解説

皆にいい人だと思われたくて、優しい人間を何度も演じるうちに本当に「優しい人間」になリ果ててしまったわたし。
つまらない人間になってしまった。
曲がりくねっている角の先っちょは本来刺すためにあったものだ。攻撃するものではないとカモフラージュするために優しげな羊になりきっている。
仕方ないからたくさんいる「優しい人間」の中の特別になれたらいいとこれからも演じ続けるだろう。


詩人Hの解説

傷口・・・自分にとっての苦い思いで、辛い過去、痛いもの。隠したい。触れられたくない。見て見ぬふりしていたい。

生えてきた角・・・自分の想いとは裏腹に、『傷口』があることで発生したなにか。能動的に獲得したものではない。けれども拒んだり逃げたりするほどでもないか、と、受け入れているイメージ。

そう言う人・・・外野(他人)はもちろん、よく分かっていると思い込んでいる自分自身も含む。うわべだけの『よく分かっている』は簡単に手に入るし、お手軽に安心できる。消耗品。

長い手紙を書こう・・・『よく分かる』ためには、本当はとてもとても長い時間、年月が必要。傷口だと思っていたところから生えてきた角を受け入れて羊になる日が来るなんて、あの日の自分には想像もつかないだろう。傷のさなかにいるときには見えない、思いもよらない未来が、今までもあったし、きっとこれからもある。それってなんか、すごく自由ってかんじ。

眠る前に羊を数えている君・・・過去の、未来の、自分自身。わたしは今、羊だよ。見えますか?もしまた違う姿(又は心のありよう)になったとしても、いつだって自由なんだって、忘れても思い出せますように。見つけられますように。見つけられる自分であれますように。


詩人Iの解説

羊というと、群れをなし、自分の意思よりも周りの決定に流されて行動するという習性が思い浮かぶ。この印象が良くない。やはり、傷を負いながらもしなやかに生きる孤高の肉食獣に憧れてしまうものだ。
しかし、特別な容姿や才能も、リスクを追う覚悟すらもなく、無難な選択を繰り返してきた自分は、社会において羊なのかもしれない。

子どもと一緒に訪れた動物ふれあいセンターで、羊に餌を与えるのは至難の業だった。いくら羊に餌を食べて欲しいと思っても、遠くからその気配を察知した山羊が怒涛のスピードで駆けてきて、餌を横取りしてしまう。山羊は子どもの手から新鮮なキャベツやニンジンを奪い取り満足そうに頬張る。情けなくも端に追いやられ干し草を食べる羊の姿は、スクールカースト上位の煌めきから身を隠し廊下で弁当を食っていた昔の自分のようだ。

せめてぶつかって行けよ、お前にだって角も蹄もあるだろう。
そんな言葉はブーメランとなり、しっかりと自分に返ってくる。

そのブーメランを受け止め傷だらけになった僕は、満身創痍の中1つの答えを導き出す。
羊であることを否定しない代わりに、僕は角を研ぐことに決めた。
角も、蹄も、毛並みも、本当は一頭だって同じ羊はいない。草の食べ方も、歩き方も、逃げ方にだって一頭の生き様がある。
あの群れの中でいつか山羊に一矢報いる日まで、角を研いでる羊だって、きっといるのだ。
これから先、肉食獣の魂を持った羊が生まれるかもしれない。

ひとまず、山羊に対しては「お前の勢いに、子どもたちは引いてるぞ」と言い残し、動物ふれあいセンターを後にした。


おわりに:参加者様募集中です

今回の企画にあたり、様々な方に「こんな企画を考えているのですが、参加してくれませんか?」とお声がけしました。
はじめは「面白そうだけど、自分に書けるか不安です…」という方が多かったです。
しかし、いざやってみていただくと、このような個性的な解説を作ってくださいました。

記事の冒頭でもお話した「感じ方や解釈は人それぞれ」という面白さを、ぜひ多くの方に体験してほしいと思っています。
こちらのワークショップはテーマを変えて今後も開催する予定ですので、気になった方はコメント欄や各種SNSのDMからご連絡ください。
今のところはすべて無料で行っております。

【今回参加してくれた皆様の感想】
■自分の書いた解説を読み返すと、「自分」というものがすごく出ていると思う。思考を棚卸しできたような気持ち。
■いつもと変わり映えのしない自宅にいても、こんな風に心をどこか遠くへ連れていってくれるんだな、と詩の持つ力にハッとしました。
■考えすぎて、書くのが難しいと感じることもあった。
■今まで詩を深く考えたことが無かったので面白かった。
■人それぞれ違う解説だけど、似たようなものもあって面白い。詩の解説自体が新たな詩のようで、たくさん詩を読んだ気持ちになった。
■他の人の解釈が新鮮すぎて感動した。一つの解説を読むたびに「え?こんな内容の詩だったっけ?」と元の詩を読み返していた。
■他の人の解説を読んでいるうちに、どれが自分の書いたもので、他の人が書いたものか分からなくなって、羊の群れにまぎれるような感覚になった。一人で読んで書くより、景色が広がっていきました。


それでは、次回もよろしくお願いいたします。


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