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手元のネタを出し切ってみる

noteに書くネタは尽きることはありません。Twitterは140字という制限が心地よい部分もありますが、どちらかというと端的な紹介、シェアに活きてくる感じで、言葉を費やしたいタイプの神屋にとっては連ツイを量産するだけで、最近は少し下火になっています。

noteで書く上では連ツイのように、連想ゲーム的に急激に書きたいことが、しかも同時多発的に思い浮かんでくることがあります。それらを上手く掴み、形成できれば多くのnoteを書くことができます。それらを確認しながら順次公開を行っていくとしばらくそこに安住してしまう時があります。

ちょっとした安住気分を味わうと、刺激が減るのか、意欲が減退するのか、忙しい時よりもむしろ「燃え尽き」を感じる時が発生します。疲労感や意欲が上がらない現象はいろいろと要因を考えることはできますが、多くの事象はむしろ以下のようなことが考えられます。

強烈な「燃え尽き」は専門家の下でサポートや指導、助言、リハビリなどを経ることが必要だと思いますが、多くは本当の意味で「燃え尽き」たのではなく、刺激が薄れ、マンネリ化している可能性があると思います。

「燃え尽き」という言葉が解りやすく、なんとなく心の燃焼材料が枯渇したような印象を受けるので当てはめてしまいやすい感じはしますが、やはり似て非なるものだと考えます。

タイトルに「手元」として「手持ち」としなかったのには訳があって、「手持ち」だと自分が持ち得る全てのネタを表している言葉だと感じているからです。そんなのが無くなる訳がないと思います。日々、何かを感じ、考え、生きていると思います。言語化するのは難しかったり、くみ取りにくいものもあると思いますが、追究、探究してみると必ず何かがあるはずです。「手元」の語感として「今持っている」表層的なイメージを持って頂きたくてそう表現しました。実際は微妙な違いの表現で、本質的には同じかもしれません。あくまでこのnoteで違いを生み出したかったのです。

その「手元」に今あるネタはどれくらいあるでしょうか?記憶の奥底を覗こうとしない限り、懸命に思考を巡らさなければ割とそんなに日常的には手元にネタを持ち合わせることはないと思います。

アスリートでも日々のトレーニングを積み重ねているうちに段々マンネリ化することはあると思います。それが「燃え尽き」に感じられるようなこともあるでしょうけど、大抵は刺激が減ってしまっている状態だと思います。そのトレーニングにどんな目的を持って、どんな課題を持って取り組んでいるか。丁寧に説明してみようとすると、ある程度は似通った内容になる時もあると思いますが、日々noteを書けるレベルで言語化は可能だと思います。

要はインプットさえあれば手元にあるネタは日々生まれてくる訳で、無くなることはないと思います。あるように感じるとすれば自身がそこに意味や価値を持たすことを止めてしまっている可能性が考えられるんですよね。

noteを書くさえも平凡な日々、というのはないと思います。平凡にするのは自身であり、自分の一挙手一投足に意味をもたせるようにすればいろんな課題も見えるし、書けることも多いと思います。たとえ仕事に関することは書けなくても、プライベートを書かなくても、公開する為にネタ化するスキルを磨いていけば書くことはできると思います。

先ずは一度、手元にあるネタを書き尽くそうとしてみませんか?ペースや量は自身で決めればよいと思うので、とにかく出し尽くす、手元のカードは全て切るつもりで書いてみませんか?

そんなことをやったら今後、書くことがなくて困るということはありません。アスリートでも若いうちに豊富な競技体験をしてしまうと将来の先取りで燃え尽きる可能性が早まるといった考えもありますが、やはりそれは見えているものだけで枯渇すると思うからだと考えられます。枯渇したと思ったら実際はもっと奥深いところに潜ることができるし、新鮮な場所は見つけられると思います。ないと感じるとすればそれは自己満足が大きくなって新しい、未開拓の部分を探究する気持ちが減っているだけかもしれません。

ヒトの一生で全てを探究するのは不可能です。だからといって最初から諦念でいるのは虚しいではないですか。全ての探究ができなくても、出来える限りでチャレンジしたいし、楽しみたいと神屋は思います。

本を読み尽くすのも無理だし、noteも無理。ランニングも、他の様々なことも無理で、時間も労力も有限です。永遠の命があっても、恐らくいたちごっこで追いつくことはあり得ません。

だけど、自分が楽しめる範囲で、充実できる範囲で追いかけることに価値はあると思うし、楽しい行き方だと思います。全てが無理だから優先順位をつけるしかないですけど。

以前から「書けない」ことも書いてしまえば良いと主張してきましたが、そういった状況も意識も全て「ネタ」だし、思考の一部です。そこに「なぜ?」をかぶせたり、以前の「書けない」と何が違うか考察を加えたりするだけで充分に違いが出てきます。noteらしく以前の「書けない」も引用しましょう。「筆が進む」というnoteがあればそれと比較してみるのも良いですよね。

要は自分の中でどう丁寧に料理するかだと思います。手元にネタがあるかないかだけで判断すると「燃え尽き」たように感じたり、今後「書けない」不安に陥ったりすると思います。誰かが書いているから自分はもう同じネタでは書けないと思うのはトッププロのライターや作家だけで良いと思います。多くの人はもっともっと「自分」の手元や身近なところを丹念に探してみることも必要だと思います。

地域という文脈でも掘り起こせば意外と良い部分もあります。決して「何もない」地域というのはないと思うんですよね。なんなら「何もない」地域として特色を書き出してみても良いかもしれません。「何もない」特色がそこにはあるかもしれません。

自分としては誰かに「やるべき」と押し付ける気持ちはありません。やってみたら楽しいよ、もし悩んでいるなら参考にどうぞ?という感じでこうしたnoteを書いています。もちろん多くの人に読んで頂けると嬉しいですが、たとえ1人でも誰かに届き、何かの参考になれば、楽しんで頂ければ充分嬉しいです。もし誰も読んで頂けなくても一番最初の読者である自分が楽しめれば良いと考えることもできます。

「ほほぅ、こんなことを考えていたのか?」「書いてみるとこんな感じになるのか?」新たな自分を知ることもできるし、もしかしたら第三者の提案のような感じでヒントになることもあったりします。


徹底的にやればやるほど見えてくるものがある。手元にあるカードは本当は不足で、もっともっとカードを揃えるために学ぶ、行動する必要があると思います。

やれる範囲で楽しむなら無理する必要もなく、書きたい時に書いて、辞めたい時に辞めても良いと思います。でもそれだと寂しいし、応援し続けることができない。細々とでも続けてくれないと日常に組み込めない。

だから新しく始める人、本気で取り組んでいく人ももちろん、少しでも続ける人、続く人が増えていけばよいなと思います。

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