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「特別」な高揚感が続けば、書けそうだけど

日常の中で淡々と書いていくのは辛く、新しいネタにも難儀しそうなイメージがありますよね。だから新しいネタを探して動き回るという行き方も間違いではないと思います。

日常の中にない「特別」を見付けられると高揚しますし、意欲が湧いて来たり、アイディアが続々と浮かんできたりもします。刺激を入れることで蛇口をひねるスイッチを入れることができる。

ただ、いつもその高揚感を頼りにしてしまうと、人間は慣れがあるので、より強い刺激や「特別」、高揚感を求めることにもなると思います。そうした結果、少々のことでは書けない、ネタがないという事態に陥るような気がします。

最初にネタが枯渇する、と感じるのはたとえばnoteを初めて数週間くらいたった頃でしょうか?3か月も毎日、投稿をし続けると多くの人はネタが枯渇すると思います。100も出せればなかなかの強者かもしれません。

そこでnoteの投稿をストップしてしまう人、そこから上述したような動き回ってネタを集める人に分かれるのかもしれません。後者の場合はそこから1年、2年、長くて3年くらいは保つかもしれませんね。

アスリートでも「石の上に3年」のような感じで3年間は集中することが出来たりします。ただ、そこから更に3年を重ねるとなると、特別が日常になっていく中で、次はどういう行き方をするかで続くかが分かれてくるのではないでしょうか?

ずっと「特別」は続きません。必ずその特別は日常へと変化していきます。特別な1試合だったはずが、プロの世界、リーグ戦のようになると週に何度かの試合が当たり前になります。書くこともそうですが、プロの書き手なら書く生活そのものが日常の当たり前になりますよね。「書きたい」という意欲は関係なく、それが習慣になる。習慣とする必要があります。

もちろん、アマでも日常系のnoteを淡々と投稿するのなら上述した話は関係ないかもしれません。あくまで趣味、健康目的でランニングする人にとっては当たり前の日常を繰り返すことが大切だったりします。維持できていること自体が素晴らしいこと。

アスリートはトップを目指し、また評価を得られる、貢献できるレベルを目指してアップデートが求められます。同じパフォーマンスをずっと続けて評価や報酬を得られる世界観ではあまりないです。

だから「特別」な高揚感をいつまでも持っていては続かないし、強い刺激を求めるがあまり不感になっては機微が分からずに困ることとなります。上に行くほど繊細で、シビアな面も出てきます。不感では勝負できないかもしれません。工夫する力も落ちてしまうかもしれません。

書くことと、アスリートで絡めましたが、何事も上を目指せば目指すほど、その状態を長く続けること自体もかなり難儀することになります。どんな人でも高揚感をずっと得続けるのは難しいので、そこに頼らない行き方、組み立て方を考えて掴んでおきたいところ。

「特別」は楽しいですが、それが当たり前になった時にも楽しさを得続けることが出来るか。それは他者から与えられるものではなく(ヒントは得られますが)自分でどう楽しみを得て、続けていけるかを知っておきたいですよね。

特別を日常に、日常を特別に。その辺の感覚を自由自在に操れる人が「特別な人」のように映るかもしれません。でも、それは天性のものかもしれませんが、後天的にも身に付けられると思います。修得を目指してみませんか?


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