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「運動と脳」を考える:なぜ生涯スポーツなのか?

適度な運動は健康に良い。この言葉はよく聞きますよね。その「適度」とはどの程度のものかは明確に答えられる人は居られるでしょうか?

この辺りの記事では細かく提示されています。ただこれらも運動歴のあるなしや、その時点での運動能力、生活など、その人の持つ背景によっても違いがありますよね。

AIなどを活用してトータルでマネジメントするのも1つの手ですが、やはりAIの性質そのものが一般化がベースにあると考えられるので最適かどうかは解りません。

日頃からかかっているお医者さんやコーチと、AIによる診断ではどうでしょうか?どちらを信頼できますか?どちらが自分に適度な「解」を導き出せる可能性が高いでしょうか?

こちらにも通じる話ですが、幼少期からのスポーツ履歴や成長などをプレイヤー自身が把握できている、理解できている場合は自分でAIに入力してマネジメントするのも可能だと思います。他人に依拠しないという意味でもそれが理想でもあるのですが、なかなか難しいことだとも思います。

ある程度は他人のサポートがある方が良いと思います。完全に他人に委ねると、その相手が、サービスが無くなればたちまち混乱に陥ります。それはもちろんAIだって同じなんですけどね。

だから自ら把握し、マネジメントできるように先ずは学びに行く、習いに行く、少しずつノウハウを構築する、その手助けを受けることが大切だと思います。

そういったスポーツの触れ方、親しみ方をすると自然と脳も使いますよね。

ただ下記の論文を参照して頂きたいのですが、そもそもスポーツを通じて脳力アップを図るとか、スポーツに教育を持ち込んで思考力を上げるとかの認識は正しいのでしょうか?


2010 年のErickson らのでは,健常高齢者120名を対象に有酸素運動群とストレッチ群との比較を1 年間行い(ランダム化比較試験),有酸素運動群で有意に海馬容量が増加したと報告している
運動が脳を活性化させるアイテムとして効果があることは徐々に明確になっているが,どの程度の強度で運動をすれば脳の血流がどのように変化するのかということに関しては,まだ明言されていないのが現状である

未だ全容を解き明かすことが出来ていないのが「脳」であり、意識や精神もそこに含まれるかもしれません。

"スポーツを通じて「学び」をコラボすることで脳力をアップする"ことももちろん良いのですが、スポーツをすることで頭は使いますよね。ルールを覚える、動作や操作、その時の意識や感覚を考えながらプレイする。観る時も激しく感情も思考も揺さぶられていると思います。

マラソンや駅伝などを観ると走りに行きたくなったりしますよね。それだけ脳への刺激が大きいのがスポーツだと思います。それはトップの試合だけではなく、身近なスポーツでも共通していることだと思います。

自分に年の近い人が頑張ってたら自分も頑張る。プレイしたい。子供が、孫が走ってたら自分も・・・と、刺激を受けること自体が「脳」に大きな変化をもたらしている証左だと思います。

更にこの論文ではスポーツというより「運動」そのものが脳への血流をアップさせることも記されています。

考えてみれば多少の運動でも身体はぽかぽか温まってきますよね。寒いときに震える、身体を少し揺さぶるだけでも身体は少し温まってくる。おしくらまんじゅうでも、乾布摩擦でも身体を動かすことをすると割と温まってくる。

それは身体=脳を除くという訳ではなく、脳も当然かもしれませんが、身体の一部だから温まっていく、血流が増えるのも当たり前のなのかもしれません。

それらがすぐさま「脳力アップ」に直結するかはまだまだ研究が必要なのでしょうし、その運動の強度についても冒頭に記したように「適度な運動が健康に良い」と同じく"適度"がどのくらいかを考える必要があります。


「高齢者の健康づくりにおける低強度運動の有効性について」久保山直己


本研究における中強度および高強度の30分間の有酸素運動により、リラックスかつ集中している状態で現れやすいα波が運動後で増幅したのと同時に、ストループテストの良好な結果を示したのは、運動により脳血流量や酸素化ヘモグロビンの上昇など神経活動が一時的に活性化し良好な影響をもたらしたことが推察される。これらの結果から、中強度および高強度の一過性の運動が一時的な認知機能の向上をもたらし、ストレス状態を緩和させる可能性を示唆した
Smiley-Oyen 等[2008]が65歳以上の高齢者に週 3 回10カ月間の中強度の有酸素運動を実施した実験では、実験参加以前より、運動中の前頭前野の活動がより高まり、実行機能評価検査の成績が向上する結果を得ている42)。また、運動習慣のない65歳以上の高齢者に 6 カ月間、週 3 回 1 時間の中強度の有酸素運動を行ったColcombe 等[2004]の研究では、前頭前野の灰白質と白質の体積が増加し、フランカー課題43)の遂行時に前頭前野の活動が実験参加以前より高まること、さらに、1 年間継続すると前頭前野と他の脳領域との機能的な結びつきが強化されたことを報告している44)。これら 2 つの研究は ASCM が推奨している中強度以上の運動強度で運動を行っている
このような実行機能をできる限り維持させようとするような両側前頭前野の相補的活動は、超高強度運動(最大握力の反復運動)だけではなく、Kuboyama[2019]の低強度運動(指タッピング運動)でも稼働していることが確認されている43)。低強度運動であっても、前頭前野の活動の高まりがあり、また、両側の前頭前野は相補的に稼働することから、実行機能を向上させる効果は十分得られると考える。

こちらの論文では脳の様々な部位で研究をしています。また運動強度についてもパターンを試していますね。冒頭の運動指針は64歳までと記述がありましたが、65歳以上となると適度さにもさらなる注意が必要となります。

思うがままに張り切って運動する、子供や孫と楽しくスポーツや遊ぶのも凄く良いことなのですが、やはり年齢や状態を考慮する必要はあります。セーブすることも大事。

運動強度が高ければ高いほど「キツイ」「苦しい」のストレスも比較して高くなります。身体に負うダメージも大きい。運動が苦手な若い人もそうですが、中高年になってくるとその負担感、ストレスは爽快さをもたらすより継続することへの阻害要因、運動やスポーツからの離脱可能性を高めます。

そういった負担やストレスを「快」と感じる人、状況ならばそれで良いのですが、不快に感じるならば注意が必要ですね。真っ先に必要なのは運動強度を見直し、下げること。状態改善を図ること。

では高齢者にとって負荷を下げた状態、運動が苦手な人や「適度」の度合いが低い人にとっては効果が薄いのかと言うとそうでも無いようです。

1つは運動強度を下げても、そこに色々な趣向を組み込むことで脳力アップに繋がるようです。散歩☓撮影や雑談、史跡めぐりなども良いですよね。散歩の運動刺激と思考面での刺激を組み合わせる。

散歩☓クイズなどでオリエンテーリングというのもありますし、孫と歩く、仲間と運動するのも大きな楽しみの1つです。黙々とランニングするのも良いですが、チームで集まる、クラブやコミュニティに参加するのはそういう意味でもプラスに働きます。

現在、行っているこういったイベントも走るだけではない価値を提供できるのはそういった理屈がベースにあると考えています。(途中参加大歓迎)

また、このようにランニングと掛け合わせることで、既にランニングが習慣となり刺激が少なく感じてきている人にもプラスになります。これはプレイするだけでなく、観戦もスタッフとしての参加も同じだと思います。

こういった考え方が成立するのもそう。囲碁そのものにも思考能力をアップさせる要素がありますが、囲碁を通じて刺激を受けるチャンスも増えると思います。

ついでに言うと神屋はesportsも囲碁や将棋も広義な意味では「スポーツ」だと思っています。「スポーツ=遊び」ならば全てスポーツに入るという考え方と、身体性を伴うものは全てスポーツにすることが出来ると思います。

このnoteやクリエイターの方々も何かを生み出す際は身体性が伴ったものになると思います。囲碁だってただ理屈理論で打つのではなく、立体的にそこに何かが現れ、展開していくイメージが出来ると伸びも良いし、楽しさも増すのではないでしょうか?

ゲームも同じですよね。バーチャルだけど、リアルに引き寄せて考えられるかどうか。身体性があるかどうか。全く無いものは果たして理解ができるか?楽しめるかは解らないです。


ラットでの実験結果ではあるが、Stranahan 等[2006]の研究に基づくと、社会的に孤立した高齢者は、地域社会で多くの人と関わり合いながら生活している高齢者よりも、強いストレスを抱えて生活している可能性が高いと推測される。また、孤立条件下では運動を行っても神経新生が促進されにくいことも報告されているため64)、社会的に孤立した高齢者は認知機能の低下がより進行していく可能性が高いと考えられる。このような層を健康づくりの場に連れ出し、地域社会の人々と関わり合いながら健康増進を図っていく対策は急務であると考える
しかし、現在のように、「きつさ」を伴う中強度以上の運動強度での運動効果が強調されるばかりでは、折角、地域社会で行われている健康づくりに連れ出した孤立した高齢者を中強度以上の運動で生じる苦痛によって、再び地域社会から遠ざけてしまい、身体機能、体力や実行機能を改善する機会を奪いかねない。高齢者を地域と密接に関連付けるためにも、誰でも気軽に実施できる低強度運動を活用した地域の健康づくりというコンセプトは必要となるであろう
健康づくりの最終的な目的である「個人が生きがいをもって生き生きと過ごすこと」の実現に向け、生理学的アプローチだけではなく、社会学的アプローチなど、複数の視点を融合させ一体化した持続可能な健康づくりの検討が重要となる。

論文の途中で大いに語ってしまいましたが、最後に引用したこの部分が大切だと思います。なぜスポーツなのか、なぜ生涯スポーツが謳われ推進されているのか、なぜ地域に必要なのか、誰もがアクセスできるものにしていくべきなのかが記されています。

スポーツの楽しさに競争があります。強いのは楽しい。負けて悔しい。これも凄く大切です。一方でスポーツはもっと幅の広い楽しみ方、親しみ方があります。

甲子園や箱根駅伝、高校駅伝にはもちろん大いなる楽しみがある。そこを崩す必要は無いと思いますが、一方でそこがスポーツの全てになってしまうとここまで記述したような考え方が成立しません。

どちらもスポーツの多様な楽しみ方、取り組み方として必要だと思います。ならば理想論かもしれませんが、それらが共存できるような仕組み、環境を創り出して行きたいですよね。

またそういった考え方や活動に興味を持つ人が増える、応援支援する人、協力する人が増える、選ぶ人が増える。そういったことも目標に置いています。走遊Labで心身を鍛えたり、整えませんか?場づくり、ネットワーク作りをしませんか?


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