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類似品と型

いろんな小説を読み続けているとある一定の設定が登場します。例えば異世界系とかファンタジーだと全てが想像で書かれても良いのに、そうではなくある一定の設定が共通していたりします。

これを悪く言えば類似品だし、二匹目のドジョウと見たり、オリジナリティの薄さと感じるかもしれません。

しかし、あまりにオリジナリティが高すぎて設定などの共通点が無さすぎるとかえって読みにくい。設定を理解する方に意識を集中しないと読めないのではしんどいですよね。

そういうことである程度、設定を共通に、世界観をある程度理解可能にしてそこからオリジナリティを持ってるように思えます。

だからその系統の多くの作品を安心して楽しめるんですよね。例えば擬人化してみるなり、ある程度は読み手が理解出来る行動原理や心情でないと共感も移入も出来ませんよね。

スポーツやランニングも同じで、ある程度の共通基盤や理解がベースにあった方が良いと思います。「型」という言葉を使うとまた違う意味を持っちゃいますが。

ベースの上にオリジナリティを出す、取り組んでいかねば超新しいもの好きでなければ選びにくいものとなると思います。

もちろん新たな価値創造やブームの先駆けになることもあるので、従来の「型」を完全に無視することで新境地を築き上げることもあるでしょう。

ただその2つの性質の違いと、行き方の違いは知っておきたいし、どちらで行くにせよ、一方を批判するのではなく、敬意を持って接したいと考えます。

先人への敬意がない作品はどんなものになるでしょうか。果たして世に受け入れられるでしょうか。

もちろんパクリは駄目ですが、似た系統の作品が多く出てくることは大歓迎で、だからこそその分野にファンが増えていきます。

ジャンル形成できないほどのバラバラさだとそこが難しい。もちろん集った結果、新たな課題も出てきますが、先ずは認知、好まれないと始まらない気もしますよね。

とまあそんなことを考えつつ読書を楽しんでいます♪

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