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美しい情景を見せてくれる本 #夏至「黄色い目の魚」

こんにちは。広報室の下滝です。

関西は梅雨入りの中でも晴天が多く、中途半端に夏がきてしまったような日が続いています。
そんな中でも感じる、空気中の水分が増えているような、梅雨特有のむっとする空気。

肌にまとわりつく暑さと、冷房や扇風機で冷えていく身体とのバランスをとるのが難しく、体調を崩しがちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「梅雨バテ」という言葉をはじめて知りましたが、身体が重くてもやもやした気持ちを抱えがちな今の季節はバテやすいのかもしれません。どんよりした天気の日には、清々しい空気を吸ったり、静かな風景を見たくなります。

たとえば緑豊かな山々、風がそよぐ高原。茜色に周囲を染め上げる夕焼け。さらさらと流れる川や、雄大に広がる海の、透明に泡立ちながらよせてはかえす波のような。

ですが、実際に出かけていくのはなかなか難しいですよね。

そんな時に開いてみてほしい本があります。
今回ご紹介するのは、もやついた心が洗われるような、美しい情景を見せてくれる小説「黄色い目の魚」です。

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主人公のみのりは、負けん気が強くて、いつも誰かとぶつかってばかりの13歳の少女。唯一といっていい理解者は、奔放なイラストレーターの叔父だけ。
叔父は、みのりが小学校一年生の時に授業で描いて叱られた「黄色い目の魚」の絵を気に入り、その魚を主人公にした漫画を描いてそこそこ世間に知られています。

自分に対して痛々しいくらいにまっすぐな性格のみのりはやがて高校生になり、人の弱い部分を嫌な感じに上手く似顔絵にしてしまう少年、木島悟に出会います。
授業で彼とお互いを写生することになったことをきっかけに、接点のなかった二人の関係に少しずつ変化があらわれ……。

爽やかな海辺の景色や気配が随所にあふれ、その静けさや激しさが絶妙に物語の場面を彩っています。
そして、つい何かを“描きたく”なってしまう、少年の見る風景。鉛筆で描かれた絵の中でしか語れないような複雑な想いと光景には、想像をかき立てられます。

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どうやったら、不安定な気持ちをこんなに簡単な言葉で、的確に描写できるのだろうと驚かされる佐藤多佳子さんの文章。

もとは短編で、表題作の「黄色い目の魚」だけだったところを、主人公のみのりと叔父のキャラクターが好きで、みのりが成長したらどんな恋愛をするんだろうという想像から一冊の作品ができあがったそう。

短編からということもあり、全章がひとつずつまとまった話になっていて読みやすいので、文庫の厚みに圧倒されても大丈夫です。

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子供から、中学生、高校生へと成長する主人公たちの様子が「道徳的」とか「理想的」ではなく、のびのびと自由に、まさにその年齢で感じているようなリアルな形容詞で描かれます。

あの頃の言葉にならなかったむしゃくしゃした苛立ちや、消えたいくらいの絶望感。孤独。そういった様々な葛藤をそのまま書き記してくれているようで、みのりに親近感を覚えると同時に、忘れていた当時の自分や家族、友人、好きだったり嫌いだったりした人々のことを懐かしく思い出します。

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さっぱりと割り切って、気持ちよく生きていければ一番良いけれど、そうできない人もいて。でもそれはあたり前のことで、みんなきっと心の中に感情を隠しながら生きている。

そうして“大人”といわれる存在になっていくということを、わかるようでわかりたくないと、みっともない姿でもがいている人たちの、身勝手だけど純粋な想いが詰まった、愛しい物語です。

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人物の描写も素晴らしくて、自分の三角のつり目は嫌いだけどスマートな胸、肩幅は好きという主人公。
いつもどこか遠くを見ているような、冷めた目つきをする彼「木島」。
何事にも無関心で飄然とした自由人の叔父。
顎に傷のある、謎めいた笑みを浮かべた少女など。
特に美男、美女というわけでもない等身大の彼らの姿が、すんなりと想像できるような個性を持って描かれます。

出てくる人物がどんな風に表現されているか、注目しながら読んでみるのもオススメです。

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著者の佐藤多佳子さんも、最後まで主人公の少女と少年の関係がどうなるかわからなかったという本作。

恋なのか友情なのか、もっと違うものなのか。“なんだか気になる”からはじまった気持ちはどこへ向かうのか。今にも潮の匂いがしてきそうな海の気配を感じながら、二人の絶妙な心の動きを追いかけて、ぜひ最後までページをめくってみてください。

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-今回のここに注目!-
「『好き』という言葉を見つけてドキドキした。絵が好き。すごくすごく好き。」
何もかもが「嫌い」だったみのりが、口にしたことで、はじめて自分が「好き」なものがあることを実感する場面です。

どうしても恋愛の好き嫌いに目がいきがちな思春期に、自分の心の奥底から叫び出したいくらいに「好き」なものを見つけ出した瞬間。その姿はなんて眩しいのだろうと羨ましい気持ちになります。


嫌な思いをどれだけしても、それを上回る「好き」の気持ち。自分の中にそんな想いがあっただろうかと問いかけてみるのも、青春小説を読む醍醐味のひとつです。

参考:佐藤多佳子「佐藤多佳子の連絡版 作品紹介」,
 <http://www001.upp.so-net.ne.jp/osasisuto/>

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■黄色い目の魚

著者: 佐藤 多佳子
出版社:新潮社
定価:本体710円(税別)
文庫本:455ページ
ISBN:9784101237343

■なついろブックカバー 夏至

サイズ:152×385mm
130×32mm(しおり)
枚数:各1枚
素材:紙

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