映画レビュー:「カセットテープ・ダイアリーズ」
赤いシャツにデニムジャケット。ラムネのように爽やかなスタジャン。オフホワイトのフリルシャツに花柄のスカーフ。イカしたファッションしてんじゃん。80年代好きにはたまらないヴィジュアルだね。いやいや、画面の中の彼らにとっては大真面目ど直球のファッションなんだから。懐古厨の餌にしちゃいけねぇ。今回の主役ジャヴェドにも思春期ど直球の大きな悩みがあるんだ。友人、恋愛、自分に理解のない父親、そして人種。87年はまだ(今もかもしれないが)人種と階級闘争の激しいイギリス。こんな田舎町さっさと出たいって望みはそんなに贅沢なもんかよ。夏休みのバイト代も父親に取られ、内職の母はそのミシンに送る布を今週も増やした。安い車は時々エンジンがかからなくて、その度に家族総出で後から押す羽目に。父親は飲んだくれでもないが家族を十分養えるほどの高給取りでもない。学校でも入れるグループはなし。極め付けは極右のスキンヘッドに唾を吐かれる始末。
「パキスタン人は帰れ!」
ある時、ターバンを巻いた男・ループスは、ジャヴェドとぶつかって持っていたカセットを落としてしまう。
「あっごめん…このジャケット、誰?」
「ボスだよ」
「”ボス”って?」
「この腐った世界で真実へ導く男さ」
ループスは1人で陰鬱と日記帳に向き合うジャヴェドをみて、ブルース・スプリングスティーンのカセットを二つ差し出した。
やがて最低な町・ルートンにも嵐がやってきて、家族の間にさえも軋む音がする。ジャヴェドはこれまで書き溜めてきたポエムを捨てようとして、ループスのカセットを見つけた。ブルースはテープ越しに、ジャヴェドを占うように、田舎の男の声で、語りかける。ジャヴェドはブルースにハマった。いや信奉した。以来、ジャヴェドはブルースしか聞かなくなった。ブルースの思想を追った。彼にはいつでもブルースの詩がついていた。家族とうまくいかない時も、新聞委員に軽くあしらわれた時も、極右にコケにされた時も。妹とアジアン・クラブに行った時、彼がいつもの青いウォークマンでブルースを聞いてるシーンはさすがにコメディかと思ってしまった。笑えてくるほどにとにかく、ブルースを聞く。聴く。効く。
それでも家族の亀裂を引き止めてくれるわけじゃない。父親も悪くないのだ。憎むべきはイギリス階級社会。一方的に投射され、捻じ曲げられたアイデンティティは本当の自分を霞ませる。ジャヴェドは出ていく。真っ暗闇の中、車にキーをねじ込み回すが、こんな時に限ってエンジンはかからない。家出を歓迎する家族なんかいない。もう、後ろから車を押してくれる家族はいないのだ。
それでもジャヴェドにはブルースがついている。その歌詞がその日の糧となり、等身大のリアルな言葉で勇気づけてくれる。この映画は、ただの懐古映画でも、ミュージカルでもない。思春期を経験した全ての人たちのためのカセットテープ・ダイアリー。青春のリードテープは、まだ切れていない。