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孤独のグルメ seasonN島 第21話

成城学園前のキッチンマカベという洋食屋さんでランチ

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さて、今日は成城学園前の歯科医院にて仕事

現調に来たんだけれども、経営セミナーか何かに参加されている先生なのか自分が直接現場のことをやってはいけないという昔何かの本で書いてあった内容を地でいっており、先生と直接会話ができなくなかなか苦戦

まあ確かに人はそちらの方が育つのかもしれないけどね。

それで帰りに何かいいランチはないものかと検索していると、キッチンマカベという洋食屋さんがかなり人気のよう。

結構テレビでも取材されているそうなので、今日はここに決めたとグーグルマップに入力した。

ポークジンジャーとオムライスが有名とのことで、またやりすぎだとは思ったけど、次ここに来るなんていつかなんて分からないので両方頼んでやれと注文したら、やはりやりすぎだった

ポークジンジャーは確かに普通のポークソテーと違いかなり美味しかった、この1品で人気になったお店なのかもなあ

無論オムライスも美味しかったんだけど、やはり他のオムライスと大きな違いを感じるほどは難しいんだよな。、

おかげでまた今日も夕食抜きだな・・・

カツオがサザエさんに何かで罰を受けているみたいだ。

さて、先日いつもの通り、プロの酔っ払いとしてのスキルを存分に発揮していた時なんだけど、鋭い切先を喉元に突きつけられたような気がする言葉を頂戴した。

ネガティヴだけど、ポジティブだよね的な内容だったと思う。

女の子の切り口は相変わらず鋭くて、思いもしない角度で切り込んでくるなと思わされた。

人に対して、ネガティヴって事?と聞き返したら、頷かれたので、それもあるって事なんだろうけど、ちょっと刺さったんで、今日のネタ

確かに自己完結できる事に対してはスーパーポジティブにしているとは思うんだが、一方で我以外皆師と言う言葉は間違いないと思っている。

自分が望まない結果を出している人を見ると、読書の著者同様に、俺の代わりに間違えてくれているとは思うので、先生としてありがたいと思うんだけど、確かに俺から見る望まぬ結果って他の人にとってはそうではないかもしれないし、それって他者否定にも聞こえるよなと

その他者否定を目にすると、ネガティヴな情報となり一定数不快になる人が存在する可能性があるということになる

でもって、他者が不快になった結果ってなんだろうかと考えると他者に嫌われるリスクだよなと単純に思った。

そして再び修行僧が洞窟の奥に入っていくような感覚で思考が自分の核へと向かっていくんだけれども、

自分の主観で物事を考えたときに、他者に嫌われる事って、本当にリスクなんだろうかと。

元々youtubeで配信していた時に3000人くらい登録があったけど、何気にアンチが多く、30分くらいの動画を上げた瞬間に俺の動画を見る時間もないのにバットマークが20個くらいついて、罵倒されるコメントが連なっていた。

当初は思い知らせてやりたい中枢を刺激されて、いちいち反論していた。

だが、俺がラッキーしか起きない人になってからは、1秒1秒がその人の命の細切れであり、その1秒の集積がその人の人生そのものなんだから、その人の人生のいくばくかを俺に割いていて、常に動画が上がるのを待ち構えて時間使ってバットマーク付けたり、コメントしているって超ド級の俺のファンなんじゃないかと思うようになった。

まあおかげでアンチ耐性がついたのもあるんだけど。

耐性がついたおかげで、あまり人に嫌われることを恐れなくなったんだよな。

言わないことは嘘ではないので、余計なことは言わないが、嘘をつかずにやっていて嫌われてもそれは仕方がないことだし、嫌われてもいいと思って生きている方が正直さが伝わるのか思ったよりは嫌われない。

そして、ここからが俺の主観だけの話になるんだけれども・・・・

俺は揺るぎない決定事項として、俺にはラッキーしか起きないと決めたんだよな。

何が起きても超ラッキー

この結論だけが決まっている。

となると、他者に嫌われることもそれはラッキーなんだよな。

嫌われることによっておそらく本来巻き込まれていたであろう面倒なトラブルを回避できたとそもそもは思うのだけれども、決定事項がブーメランのように戻ってくる。

俺はラッキーしか起きない

その俺を嫌う他者が現れた

おかげでとんでもないトラブルを回避できるからラッキー

そして、ラッキーしか起きない俺を嫌う人って、よく考えたらラッキーを嫌うアンラッキーな人なんじゃないか?

アンラッキーな人に嫌われるって、俺が不運に嫌われているということになるし、それってラッキーな事だよね的な。

鶏が先か卵か先かの話の様に決めた事が永遠にループされ、勝手に一人でよりラッキーになっていく、おめでたいシステムが出来上がっている。

そう考えると、人に嫌われる事って恐れるようなリスクではないよなと思うんだよな。

これはあくまでも一般的な話ではなくて、自己完結できる範囲の結果の受け止め方であり、俺単体の話だけれどもね。

もちろん、嫌われないに越したことはないという前提はあるけれども。

そして人に押し付けてはならない思考ではあるし、人に同意を求めてもならない思考だとも理解はしている。

他者から見れば俺は爪先立ちしてプルプル震えながら無理している人に見えるかもしれないしな。

人に言われたことだけど

なんとなくハッと刺さった言葉でこんなようなことを考えさせられたんだよなあ


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