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#社会貢献活動
すべてを変えた あの日…(9)
南三陸港地区避難所をあとにし、次来るときに迷わないように帰り道を慎重に記憶した。
この避難所におられたOさん一家だと後で分かったが、急な坂道を登る途中赤い紐で男の子をおんぶしている日焼けした男性に出会った。
極度の疲労のお顔だったのだと、その後のお顔を思うと察することができた。
頑張ってしまう奥様は仮設に移られた後、倒れ入院された。
ご家族の手厚い看病でお元気になられ安心したが、気丈なお人柄ゆ
すべてを変えた あの日…(8)
翌朝は朝一番でお花を買い彼にもう一度会いにいった。
そして、三人で一緒にお花を植えた。
奥様が帰ってきた時によろこんでもらえるように。
再会を約束して私達は南三陸へ向かった。
M医師から聞いていた支援が行き届かない場所を見つけようと探したが見つからない。
迷いながら偶然に南三陸町港地区避難所が目の前に現れた。
聞いていた所ではないが車を停めた。
小さな集会所を避難所にされているようだ。
すべてを変えた あの日…(5)
亘理小へ戻り、出発の挨拶をして山元町、夕方福島県新地、相馬まで南下した。
海岸線はもうここまで。入れない。内陸部に入りそのまま帰宅するつもりでいた。
自宅への距離が近づいて行くほど、違和感を覚えた。今までいた見えていたものと全く違う景色なのだ。これが私達が暮らしていた場所なはずなのに、どちらが現実か分からなくなって混乱した。娘も犬も待っているのに、早く帰ってあげなきゃと思うが遠く感じてしまう。
すべてを変えた あの日…(2)
14:46
埼玉県の片田舎の公園に夫と犬の散歩にきていた。築山がありてっぺんに登りかけたとき…地面が揺れた。
土の下からぐおーおおおおと音がする。
座り込んだ土の下が回っていた。
駐車場に停めた車がひっくり返りそうなほど左右上下に私達と同じように揺れていた。
揺れがおさまったあとも公園は静かだった。
いつもと変わらない空気。
いや、何かが、大変な何かが起こった。
こころが何事
すべてを変えた あの日…(1)
8年…ずっと語れなかった
時が満ちたのだとおもう
焼き付いてこころから離れない記憶を残していこう
今だから分かる
私が 私達家族三人が生きていく起点はここにあったから
そしてあの日からのこころの旅の終着駅にたどり着いたから
彼の地で出会ったたくさんの生き続ける魂を宝物として抱いてきたから
誰かに 何かを 伝えることができるなら
ずっと彷徨ってきたこころを 書きとめておこう
瞬間に