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すべてを変えた あの日…(9)

南三陸港地区避難所をあとにし、次来るときに迷わないように帰り道を慎重に記憶した。

この避難所におられたOさん一家だと後で分かったが、急な坂道を登る途中赤い紐で男の子をおんぶしている日焼けした男性に出会った。
極度の疲労のお顔だったのだと、その後のお顔を思うと察することができた。

頑張ってしまう奥様は仮設に移られた後、倒れ入院された。
ご家族の手厚い看病でお元気になられ安心したが、気丈なお人柄ゆえに本当に心配だった。

はじめてワカメ漁ができた時は、生来不器用な私にも丁寧に教えて頂いた。
役には立たずに邪魔をしたと思うが…。

息子さんご夫婦、おっきな逞しいお孫さん二人と末の小学生のお孫さん。大家族の中に入っていると自分もその一員のような気がした。



そして被災されたご自宅のご近所さんで急な坂道を登った高台に住んでいるNちゃんという女の子。
年を聞くと娘と同じ小学5年生、同級生だ。
8月にNちゃんと娘は会いメールを何度かやり取りし、中学に入ってそれぞれ部活も勉強も頑張っていた。

初めて会った時、彼女はお友達と弟を連れて遊んでいた。
他所からきた私達と友達になってくれて案内してくれたり、紹介してくれたりと人懐っこくしっかり者のホストさながらであった。

彼女から生タコを送ってくれたりもした。
もう高校生だな。


そして小さな少女を膝に乗せたおばあちゃんは、あの日はこの子と二人きりだった。
必死に守ったと…。
見つめる眼差しは愛おしさがいっぱいだ。
仮設に入ったRちゃんとおばあちゃんに会いにいくとお歌を歌ってくれたりした。
園に通うようになるとおばあちゃんは寂しくなるといっていたっけ。




じいちゃん、ばあちゃん、とうちゃん、かあちゃん、子どもたち、支えあって笑いあって励まし合って暮らす。ささやかな幸せに気づき感じ感謝する。

目先の経済、まやかしの個人主義を追い求め忘れてきてしまった私達日本人が先祖より頂いた大切なことを出会った方々から気づかせてもらったのだ。
自分の利を追い求める世界は息苦しすぎる。
人をいたわることが自分をいたわることだ。
謙虚さの美しさを出会う方々が代わる代わる見せてくれている。
痛切にこの体と心に刻みつけた。

6月16日、南三陸町役場周辺から撮影を始めた。

水が引いただけで二週間前に来た時と何も変わらず。鉄屑の山、辺りから異臭、キイキイ鳴る音は何か。

人の気配もなく、何も無くなった一面の土と鉄屑。たばこ の のぼりを立てた小さなプレハブ。
ご夫婦がお店を開けていた。お酒やたばこ、おかしなど品物が揃っている。これから海岸線から気仙沼に入っていき軽トラの彼に会いに行く予定、彼の好きなたばこをお土産に求めた。

シャキシャキのお母さんとおしゃべりを弾ませながらのひと時は元気をもらえた。
元気つけなさい!とバナナを頂いてしまった。
とんでもなくありがたかった。

なぜこちらに頻繁に帰りたくなるのか。
こちらの人々と出会う度に思う。
人は誰かの役に立つためにこの世に生まれてきたのではないかと。
人という文字もそうだ。支えあうから人なのだ。

ちっぽけな力でも何かできるのではないか。行動しようと始めた。そして何度も足を運ぶうちにきっと支え合うようになったのだと。
支え合うということがストレートに感じられる。

生きていることが実感できたのだ。

つづく

あなたの心に翼あることばの一つ一つが届いて和らいで解き放たれていきますように。 サポートよろしくお願い致します✨