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彼女からの知らせ

南米チリに一時滞在していた。3年間の予定で赴任している夫に会うためだ。普段SNSはしないタイプなのだが、数少ない近しい友人と家族には、地球の裏側からわたしの生活を知らせたいと、こじんまりと発信していた。

ある日SNSのおすすめから、古い友人を見つけた。同じ年で、子供も年齢が近く、20代前半は濃密に一緒に過ごした仲間の一人。バスケットボールチームを作って試合に出たり、社会人になっても上手くなるために、熱い気持ちで練習したり、遊んだりした。穏やかで、時に負けず嫌いで、バスケがだいすきな友人。話始めると一から十まで説明したい気持ちがあふれてしまい、相手を飽きさせてしまうという特技?をもつ、愛すべき友人だった。

なぜそう思ったのかわからないし、今思えばそれこそ虫の知らせなのだろう。ここ5年ぐらいはきちんとあっていない彼女に近況を知らせたいと思った。なぜか今のわたしを知ってほしいと突然思った。ひっそりとフォローリクエストを送ったその日。その日に彼女は亡くなった。

まだ死ぬには若すぎる年齢だし、病気のことを誰も知らなかった。一年前にバスケ日本代表の地元開催の試合会場でばったりあった時は立ち話をして別れた。バスケで繋がっている私たちらしいばったりさ加減だなーとその時は思った。やっぱり彼女もわたしもバスケ好きなんだなとちょっと嬉しく思った。

チリから日本へ向かう、経由地アトランタでこの文章を書いている。もう少しチリに滞在する予定だった。帰国してから会いに行くこともできた。でも、居ても立ってもいられなかった。彼女に会わなければならない。顔を見てお別れを言いたい。書いていると涙が流れます。流れて流れて止まらないよ。

彼女は公務員で、早くに子供を産んだ後も育休も取らず仕事に没頭した。辞めたり休む選択肢を考えなかった。子育てはマンションの隣の部屋に住む実母に頼った。平日に子供に夕食を作って食べさせたりすること全てを実母に頼った。夫も同じ公務員で、お互い仕事に没頭し、ライバル心もあったかもしれない。仕事にかまけて子育てをしてこなかった、実母に丸投げしたことへの罪悪感、子供が自分より実母に頼ること、そうでないと自分の仕事がままならないのはわかっていて、感謝の気持ちと、母親業を奪われたという気持ちの狭間で徐々に心身のバランスを崩した。きっかけは別のトラブルだったけれど、20年積み上げたキャリアを終わらせた。

わたしはその話を聞いて、心底よかったと思った。そこまで彼女を駆り立てたものは何なのかを彼女の口から聞いた。親の要望に応えたかった。いい子ちゃんでいたかった。自分で、自分を縛り付ける呪いから、彼女はやっと自由になれたと思った。それから約10年、彼女は仕事はせず、夫や子供に夕食を作り、楽しく大好きなビールを飲み、もっとバスケを上達させるべく、週2回の練習に通った。やっと罪悪感から解放されたのだと思った。

ずっとそんな風に生活は続いていくと思ってた。いつだって会えるし、連絡もしなくても、必ずどこかで繋がっていると思ってた。頻繁にあって話す必要がなかった。わたしも彼女も、会う必要がないぐらい自立してたから。彼女には不安定な所がない。余計な弱みは見せない。話せる弱みと話せない弱みを、完全に区別していた。自分の中の大切な弱みは、自分の中で向き合うしかないこと。それが人としての強さだと分かっていたと思う。誰しもみんな、自分の問題と向き合いながら、毎日を生きていくしかない。それを知っている人は強い人だ。彼女は強い人だった。

でも、もう会えない。あっという間に会えないところに行ってしまった。こんなに早く会えなくなるなんて、わたしの予定には全くなかった。
後悔のない人生を行きたい。いつ死ぬかわからない。幾度となく頭の中に駆け巡るこの言葉を、現実として突きつけられて、わたしは途方に暮れている。

彼女にはもう会えない。この事実が、わたしの背中を、強く、強く、押し続けるだろう。
後悔のない人生なんてあるのかな。彼女は後悔しただろうか。答えはいつだって分からないままだ。


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