週刊レキデンス ~第9回~ 糖尿病治療の始まり

糖尿病の歴史はどの様にして始まったのでしょうか?

日本で一番最初に糖尿病が報告された人物は、藤原道長と言われています。(1)

学生が見つけた?

では、遡ってみましょう!時代は今から152年前である1869年です。 
当時、ドイツ ベルリンで、ある一人の学生膵臓にある塊を発見しました。しかし、その当時は、まだその塊と糖尿病の関係性は解明されていませんでした。その塊を発見した彼が没した数年後、フランスのグスタブ=エデュアルド・ラゲス(Gustave-Edouard Laguesse)(1861-1927)がその塊と糖代謝の関係性について研究し、発表したのが1893年のころ。彼はその塊を「ランゲルハンス島」と呼びました。(2)そう、そのドイツの学生の名は、パウル・ランゲルハンス(Paul Langerhans)(1847年7月25日-1888年7月20日)であった。

1869年とは日本では何があった頃でしょうか?
日本では、徳川政権が大政奉還を行い、いわゆる明治維新がなされた直後の時代です。そのような激動な時代とともに、糖尿病でも激動の時代の幕開けが起こっていたんですね。胸が熱くなります!!!!

インスリンは別の名前だった?

ランゲルハンスが後のランゲルハンス島を発見してから20年後、1889年には、オスカー・ミンコフスキー(Oscar Minkowski)(1858年-1931年)ヨーゼフ・メーリング(Joseph von Mering)(1849年-1908年)によって膵臓を取り除いた犬が多尿を引き起こすことを報告されました。つまり、糖尿病の症状が発症したのです。このことから、糖尿病は膵臓の疾患であることが突き止められました。(3)
更に時代は進み、32年後の1921年フィレデリック・バンディング(Frederick Grant Banting)(1891年 - 1941年)チャールズ・ベスト(Charles Herbert Best)(1899年 - 1978年)の2人は、糖尿病の犬に対して膵臓抽出物を投与しました。すると、血糖値が低下していくではありませんか。 このことから、膵臓抽出物には血糖値を下げる何がが含まれている事が分かりました。その抽出物は「アイレチン」と名付けました。 (4)(5)

あれ? 私たちが知っている名前とはちょっと違いますよね?

そうなんです。 彼らを指導等をしていた教授には「アイレチン」という名前は採用されなかったんです。教授は「島」(insula)のラテン語を語源としたエドワード・シャーピー・シェーファー(EdwardSharpey-Schafer)(1850年6月2日-1935年3月29日)が提案した「インスリン」の方を使いました。これなら私達が良く知っている名前ですね。(6)

ノーベル賞!!

ちなみに、バンディングはこの功績でノーベル賞生理・医学賞を受賞しているんですが、その年が1923年と発表から2年なんです。(ベストは受賞対象外でした)(代わりに、研究室の教授マクラウド(John James Richard Macleod)(1876年 - 1935年)共同受賞しています)

はやっ!! 

それだけ科学者は注目していた分野だったんですね。 iPS細胞を発見し受賞した山中教授でさえ6年ぐらいで受賞して「早い」と話題になっていた位ですから、彼らの2年での受賞の早さ、スピーディーだなということが伝わると思います。

参考:

1:https://www.club-dm.jp/novocare_circle/celebrity/celebrity4.html
2:Laguesse GE. Sur la formation des ilots de Langerhans dans le pancreas. C.R. Soc. Biol. (1893) 45:819.
3:von Mering J, Minkowski O. Diabetes mellitus nach Pankreas extirpation. Arch f exper Path u Pharmakol. 1889;26:371.
4:Rosenfeld L. Clin Chem. 2002 Dec;48(12):2270-88. PMID:12446492.
5:Banting FG, Best CH, et al. Transact Ass Amer Physicians. 1922;37:337.
6:Sharpey-Schaffer E. A. (1916). The Endocrine Organs. London: Longmans, Green and Co.

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