超人に好かれすぎて偉人になってしまいそう#12
低学年last でてしまっている自分
「俺」たちは生きている間は成長し続ける。これは間違いない。
成長して大人になっていく。大人になっていく過程で、大事なもの・必要の無いものを取捨選択していく。
考えてみて欲しい、
「自分が今まで捨ててきたものはなんだろう。」
という部分を。
みんな、自分が出したくない部分を捨てて生きているのでは無いか。
自分でもそう思っていたが、意外と自分のことはコントロールが効かない。感情の方がいつも優勢で相撲の決まり手なら寄り切りだろう。
今回の話は捨ててきた、言わば「ゴミ箱」の中から引っ張り出してきた人格についてである。
ーー
人は一般的には、年齢を重ねるにつれ相手を尊重する事を覚える。
相手の話には相槌を、共感を、相手の状況を理解を、と。
その場の空気を読んで適切な答えを選ぶ。
もちろん必要なスキルであり、今後の人生においていい働きをしてくれる。
なんだこうすれば上手くいくじゃないか、こうやって生きていこう。「でてしまって入る自分」という性格なんかゴミ箱行きだ。
ところが、その「相手」と長く関わりたいと思った時はどうだろう。「俺」についていづれ興味が湧くだろう。そんな時に
「自分の事よりあなたの話を聞かせて」
「俺なんてしょーもないよ〜」
と、「俺」が言ったらどうだろう。そんな事言われようもんなら、
「この人は自分を見せたくないんだな〜」
「自分のことを信頼していないんだな〜〜」
と、思うかもしれない。
ならどうすればいい
「自分がでてしまっている」というところを自覚する必要がある。
「俺」が感情的になる部分はココか、と自分で自覚しなければならない。自分がゴミ箱から引っ張り出してきた感情はこの部分。
関わる人に「俺」を分かってもらう為には、どうしても「でてしまっている自分」が必要。
思い返してみると、ボスの時には学童に行ってしまう。多人数と関わる為に運動場に行ってしまう。目を背ける為に「俺」が忙しいと思ってしまう。
この「しまう」こそが「でてしまっている自分」だ。
この感情を一度ゴミ箱に捨てたが、大学時代本当に信頼できる人間に出会った時に、自分を出せなかった。さらに相手は自分を信頼していないような素振り。
何がいけないのかと自分の中身を検索、最終手段としてゴミ箱の中をみてみる。「でてしまっている自分」が見つかる。これだ!!
小学校低学年ながら貴重な体験をしていた事、人生において大事な部分を経験していたと思うとゾッとする。小学生にそんな事を求めるんじゃない。
ただ、「自分がでてしまっている」というものは人々に信頼を生む。
あとがき
どうも更新が遅くてごめんなさい。ニトチモナです。
今の自分を作っているのは、昔の自分だと過去を思い返した時に、この事を思い出しました。自分がでてしまっている時はいつも信頼できる人が周りにいるなあと、思った次第です。みんなにもこのような経験があるのではないかと思い、執筆しました。
自分は昔からクール、冷静と言われてきたので、自分を出す機会なんて皆無だったのですが、幸いなことに自分がでてしまっている機会を周りの人が与えてくれたおかげでみんなに信頼されていると思っています。
こんな自分本意な文を読んでくださりありがとうございます。これからも皆さんどうぞよろしくお願いします。
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