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弱みと応援しがい

弱くあってはいけないと思っていたけど、そのことによって助けられたことは山ほどある。

逆に完璧でないのに、強がって自立しなきゃと完璧に見せようとすると一人相撲で苦しくなることが多い。

完璧な人はいないから、うまく補っていけるといいなと思う。

あえて弱く見せるなんてことをせず、強がらず自然体で助け合えるような関係を。

ちなみに弱さとは、能力を軸にはかられることが多いと思う。できることとできないこと。

弱みは、応援されるに直結するのか?

だけど、弱みがある=応援されるに直結するかというとそうではない。

その人の人柄や容姿、過去の経歴などに共感されるかどうかが関わってくることがある。

共感しにくい対象の端的な例としては、いわゆる加害者が挙げられます。  
基本的に、テロリストから強盗犯まで過去に罪を犯した人の社会復帰は簡単なものではありません。そもそも犯罪に至るまでの環境的な要因を変えることは容易ではないですし、刑務所から出たあと、社会に順応していくのも大変なことが多いです。  
そして特に日本では、一度罪を犯した人への差別や偏見が非常に強いといわれています。彼らの社会復帰における問題や、それに対する支援などを紹介する記事や投稿へのコメントはしばしば大荒れすることも多く、「即、死刑にしてほしい」「社会に戻ることが難しいのは当たり前。どうか苦しみ続けてほしい」「私が被害者だったらこの地球に存在していることがもう無理」といったコメントに多くの賛同が集まったりします。

『共感という病』永井陽右著

もちろん私自身も当事者となったときに同様の気持ちになるかもしれない。

起きたことに対して、それは感情的に考えているのか、理性的に考えているのか。

許す、許さないなどあらゆることが複雑に絡まってくるからこそ、いまゆっくり解いきたいのだと思う。

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