自分というフィルターを通じて言葉を抽出していく
おはようございます。
今日でなんと100日連続、noteに投稿することができました。
続けている人にとっては、たった100日ぐらいじゃ甘い。と思うかもしれませんが、これまで何か100日連続で意識的にやってきたという経験はあまりなかったので、すごく嬉しい気持ちになっています。
ということで、今回は100日を通じて、考えてきた一つであるオリジナルな文章を書き続けるためにはどういう気持ちで臨むといいか?について書きます。
独自性があるかという悩み
これは書くことを続けている人であれば、一度は経験したことがあるんじゃないかなと思うこと。それは、記事を書いていると誰が書いたかわからないような似通った文章になっていないかと感じてしまうことです。
例えば本を読んだあとに、感想を書くとき。
いつの間にか要約したような文章で他の記事とあまり変わらないような気がして落ち込んだことがありました。
この記事は届ける意味あるのだろうか?と。自分なりにはアウトプットして、定着はするものの読み手にとって価値を感じられないかもしれないんじゃないかと不安になることがありました。
フィルターを通じて抽出する
そんなときに、村上春樹著『職業としての小説家』のオリジナリティーについての章でこのように書かれていました。
自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけるには出発点として「自分に何かを加算していく」よりは、「自分から何かをマイナスにしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば僕らは生きていく過程のなかで多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。
この言葉にすごく共感。
本を読んだとしても、その感動は他者との感動とは少なからずとも違っているはずです。
これまでの経験などから自分に湧き出てきたものいくつもあるなかから抽出していることに気づいたのでした。
コーヒー豆を挽いたものフィルターを通じて抽出して美味しい部分を出すように、そのフィルターが誰になるかで変わっていく。これがオリジナリティを僅かなりとも生み出すのだと思います。
楽しい気持ちになれますか?
あとは、もう一つ村上春樹さんの言葉のなかでメモした言葉ありました。
すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつ基準になるだろうと思います。もしあなたが何かを自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に戻って、楽しさを邪魔している余分な部分。不自然な要素を、片端から放り出していかなくてはなりません。
100記事続けるなかで、書かなくちゃと思う気持ちは前半少なからずありました。
しかし、書くことが習慣化されていくなかで、心に余裕が生まれて書くことが楽しくなっていきました。
この状態をこれからも続けていきたい。朝ちょっと早く起きて、今日は何を書こうかな?と楽しみに一日一日を刻んでいきたいという気持ちで溢れています。
村上春樹さん素敵な気づきをありがとうございます。
ということで、まとまりのない文章になってはしまいましたが、オリジナリティを出していくためには、肩に力を入れずに楽しさを感じている自分のフィルターを通じて抽出していくことなのだと現時点では思っています。
それでは今日も素敵な一日をお過ごしください。
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