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怪物

天才。

この映画を観たいま、天才という言葉を真っ先に使いたい

才能で溢れた、坂本龍一さんの音楽と坂元裕二さんの脚本と是枝監督の作品。そしてこの映画に携わった全ての人のおかげで、わたしは新たな気づきと学びを得た。

(そもそも、前に映画館に行った時からだいぶ月日が経っていた今日、久しぶりに映画館に行き始まる前から得たものがあった。一つは、映画に携わりたい!てまたやりたい事が増えた事。やりたい事があまりにも多いからどれか我慢しなきゃなーと時々思うし、最近は〝それ〟に対して時間が足りないと感じている。それを思ったのは予告編で、これまで予告編で何も感じる事はなかったのに、面白い面白くない、見たいか見たくないか、を観ていただけだったけど、また視点が変わったんだなーて実感。予告編では色々な映画の予告が流されていて、それぞれの映画は映画という類では同じだけれど全く別物で、伝えたい事ややりたい事や詰まっている思いまでもを想像した。映画を作る人々は、何を思っているのだろう。物凄く興味が湧いた。どうしたら伝わるか、どうしたら表現できるのか、ただものすごいことをやろう、今までにないものを作ろう、思いはそれぞれなのかな。映画監督全員にインタビューしたいくらい。そしていまこのnoteを書きながら、作品をつくる人全てに(映画に限らず)インタビューをしたいなってまたやりたい事が生まれる。止まらないわたしの脳みそ🌀
映画が始まる前に感じた事二つ目。その瞬間は一人の女性が入ってきた時。たまたま目に入った女性を見て、この人は映画を見にきたんだ、そっか私たちはいまこの空間にいる人たちはいま同じ目的で同じ場所に集まって同じ方向を見ているんだ。それだけで人間が愛おしく思えた。人間を愛おしく思うことがわたしの最近の課題で、それはきっとどこまでも続く課題なんだけれど、愛おしく思えた瞬間だった。)

脚本、音楽、映像、
全てのバランスが素晴らしく、素晴らしく素晴らしい映画だった。

今日、もう一度観たいと思うほど。
忘れた頃にもう一度観たい。

坂本龍一さんの音楽。
冒頭から惹きつけられた。
最初から最後まで、
音楽が使われるそのバランスも。

全てが美しかった
まだそこに生きているように感じた
まだ生きているように

“芸術は死生観を超越する”という言葉が、
証明されたかのようだった。

そして坂元裕二さん。
沢山の気づきを与える脚本。
無駄のない台詞、言葉を見事に表現する、
魅せる、言葉の使い師。

映画全体で伝わるもの、数々。

天才と天才と天才と、それを叶え、支える全ての人、もの。

素晴らしく美しかった。

人間って、奇跡で素晴らしい。
人間が愛おしく思える。

坂元裕二さんの書いた台詞で、
わたしの脳は宇宙にまで連れていかれた。
もうさっきの感覚には戻れないけれど、
宇宙の壮大な無限の中に、
偶然必然生まれた世。

これから宇宙レベルでの話をしたい
宇宙レベルで生きていきたい
生命の営みの一部という視点
社会も自然の中の一部という視点に納得がいった。

そんな気づきを与えられる映画、魅せられる、気づかされる。

こどものいじめ
同性愛
たった一言、たった3文字で、
悪気がなくとも人を苦しめること
一人一人の背景
全て真実を知るには誰もが程遠いこと
信じるしかない
相手が何を思ってそうしたか、
そこには自分が想像もできないことが存在する

仲良くしようとしないこと
仲良くするのが最良だとされている事に疑問を抱いた。

〝5年2組、仲良くしようね〟
映画の中で教室に貼ってあった言葉。

仲良しという丸には完璧な丸は存在しない。
丸はときに線が繋がっていなかったり、歪んでいたり、
引っ張られている形をしていたり、
薄かったり、細すぎたり、
一見よく見ると綺麗な丸でも
細かく見たら完璧ではなかったり、
完璧な丸はない。
〝みんな仲良くしようね〟という言葉は、
完璧な丸をつくろうねという意味に聞こえるが、
歪んでいても少し薄くてもいいよって、
伝えたいと思った。
完璧な丸を作ろうとする、
そこで生まれるいじめや嫉妬や丸の崩壊。
経験して気づくことが良いのか、
はたまた完璧な丸を作ろうと
努力し続けることも良い事なのか、
そんなことも思うけど、
完璧な丸の強要は良くない、ただそう思う。

個が個として存在し
個と個が互いに関わる
そうして初めて成立する
個が形成されてないうちに
仲間を推奨されるのは難しいことだけれど
それはやむを得ない事なの?

一緒に観た家族と感想を話すと、
それぞれの解釈があった。

同じモノに対して、作った人も観た人も、
感じた事、思うことがそれぞれ違う。

そうして一人一人違う人生が作られていく。

無限、宇宙、人は計り知れない

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