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【書評】人類はどれほど奇跡なのか【基礎教養部】

奇跡とはなんだろうか。普通に考えると有り得なさを表す尺度である。有り得なければ有り得ないほど奇跡である。では単にあり得なければ良いのか。例えば、コマの動きと多少の定石(本当に多少)を知っている程度の私が、明日藤井聡太と将棋で勝負して勝つ可能性はあるのか。まともに対局が行われるとすれば、限りなくゼロである。もはやゼロと言ってもいい。人生が終わるまで指し続けても、間違いなく勝てない。このような状況下で、もし私が勝ったとすれば、それは奇跡なのだろうか。奇跡と呼ぶのか。呼んでもいいのだが、どうも違うような気がする。そもそも(頭脳含めた)スポーツに奇跡などあるのだろうか。素朴な実感としては、実力通り勝つものである。たまに例外は起こるが、それは人間側が競技のルールとして付加した、偶然性によるものだろう。もしくは1回限りの勝負だと、確率の低い方を引くことだって十分にある。偶然性に限りなく支配されない競技ルールを設定することだってできるはずだが、そのような競技が競技として面白いのかは、疑問が残る。麻雀は偶発性の強い競技であるが、強い奴が絶対に勝つ麻雀があったとしたら、そんなものは絶対に流行らない。偶然性は競技を面白くする要素でもある。しかし、このように人間が箱庭の中で設計した偶然性の発露は、奇跡と呼んでいいのだろうか。少なくとも、人類がどれほど奇跡なのかの文脈における奇跡とは、何かが違うように思えてならない。

人類の奇跡度合い、あり得なさとはどの程度の話なのか。この奇跡の度合いは、あり得なさとしては、おそらく私が明日藤井聡太に勝つことよりもあり得ないものである。何ならど素人が適当にコマ動かして100連勝するくらいの引きかもしれない。100でも足りないかもしれない。このような奇跡が起こるのは、藤井聡太との対局が0を何個つけても足りないレベルの桁数で実施されているからである、と言うのが本書の主張である。1兆回対局すれば、1勝くらいはあるのかもしれない。1京回対局すれば連勝くらいあるかもしれない。そう考えれば納得できそうである。人類が誕生する確率は、猿が適当に打ってシェイクスピアの文章になるくらいの確率だというネタ話を、どこかで聞いた覚えがあるが、無限に打ち続ければ、いずれはなるのかもしれない。

しかしである。いくらでも試行できるんなら、そりゃそのうち起きるよね、という類の話は、奇跡と呼んでいいのだろうか。心情としては奇跡と呼びたくはない。ソシャゲのガチャを引く。10連でSSRが5枚出た。1発目で出るのと、10000回目で出るのは、どちらが奇跡なのか。確率的には同じだと言われても、感じるのは1回目である。しかし人類は1回目で出たのか、10000回目で出たのかわからない。生命誕生ガチャ1回目で人類ができたとすれば、奇跡という感じもする。するかな。それも微妙に違う気がしてきた。もはやスケールがデカ過ぎて、日常の感覚とはかけ離れている。本書でも量子論がいかに日常の感覚とかけ離れているか力説しているが、スケールの違いは感覚の乖離をもたらすものらしい。他と何かと比べた場合の自我の圧倒的なリアリティを次元数の違いとして説明している項目もあったが、これも凄まじいオーダーの違いなのだろう。

ただそのうち起きるよね、というのは、宇宙の時間と原子の数を考えても、文字通り無限回試行回数できるわけではない。猿がシェイクスピアの文章を作れるというネタ話は、文字通り無限に試行できる場合の話である(と理解している)。生命の発生は無限を要する話ではない。しかし、奇跡と考えた場合、宇宙が可能にする試行回数と、素朴な無限の話に、さほどの違いを感じないわけである。これは私の無限の理解が浅いから起きる感覚なのだろうか。あり得る話だ。

奇跡とは一体なんなのか。話が迷い込んでよくわからなくなってきた。結局、人間にあるのは奇跡と「感じる」かどうかだけである。私の「感じ」としては、無限(のように感じる有限でもいい)の試行を重ねた結果、確率の低いことでも起きうるというのは、奇跡だとは「感じ」ない。シンプルにそれだけの話である。藤井聡太に明日勝ったとしても、多分奇跡とは「感じ」ない。トラブルでもあったのでは、となるだけである。スポーツのジャイアントキリングも、奇跡だとは「感じ」ない。ある程度用意された偶然性の中で偶然が起きているからだ。そもそもスポーツのジャイアントキリングは偶然と呼ぶほど確率が低いことではない気がする。10回中の1回が最初に来た、というレベルの話でしかないのではないか。結局、奇跡の「感じ」は何に由来しているのか。そこまで明確に言語化はできていない。今のところ私が感じる奇跡とは、ほとんどあり得ないようなランダム性の高いことが、いきなり発生することのように思える。SSR5枚が1発目に来ることはかなり奇跡に近い。いくらでも繰り返せばそのうち起こるという事実は、むしろ必然と呼ぶ方がふさわしいのではないだろうか。

本の中身についてほとんど触れなかったが、今回私の頭に引っかかったのは奇跡の定義だったので仕方がない。基礎教養部の方のあらすじを読めば大体わかるので割愛する。ひとつだけ中身について述べると、数を数えるのが人間に特有な知能を生み出しているというのは、唯脳論の話に近かった。人間の特異性は神経系に現れるというのは、物理学者が見ても解剖学者が見ても同じなのかもしれない。第3章の意識の問題は、筆者の独自見解が披露されているので面白い。どのような本にしても、面白い部分とは、研究やデータの羅列ではなく、己の考えを開示している部分である。

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