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【無料記事】悟空


TOMO様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。

悟空はチチと結婚して、悟飯と悟天という二人の息子がいます。

第四部では、長男の悟飯は魔人ブウに殺され(実は瀕死状態)、妻のチチは卵に変えられて踏み潰され、次男の悟天は地球ごと消滅させられてしまいます。

ところが、肝心の悟空は、ブウを倒すことに精神を集中していて、三人の死にもあまり動揺しません。  

この男が四部作を通じて最大級に激怒したのは、実は、クリリンがフリーザに殺された時なのです。

第一部で、ピッコロ大魔王の部下に殺され、ドラゴンボールで生き返ったことのあるクリリンは、もう二度と生き返れない。

そのあまりにも激しい怒りによって、悟空はそれまで不可能だったスーパーサイヤ人への覚醒を成し遂げるのです。  

嫁さんや自分の子供を殺された時よりも、親友が殺された時の方が怒る主人公にも驚かされますが、この作品には「誰かのために死んでもいい!」というキャラクターばかりが出てきて、しかも元は敵同士だったのが、戦いを通じて仲間になり、より深く強い絆で結ばれていくのです。  

日本のマンガでは、男同士の友情が明らかに男女間の愛情の代替物になっている。  

男女の愛情ならば、ほとんどの場合、その先に肉体的な快楽という、一種の「報酬」が待っている。

しかし、男同士の友情は精神的なものだから、これまで繰り返し述べたような「現世利益」にはならない──という発想です。

魔人ブウとの最終決戦でベジータの口から明らかになる、孫悟空の行動原理です。

「勝つために闘うんじゃない。ぜったいに負けないために、限界を極め続け、闘うんだ…!  …だから、相手の命を絶つことに、こだわりはしない…」  

つまり、悟空にとっては純粋に強い相手と戦って、自分を高めていくことが目的で、相手の命を奪うことまでは望んでいないし、勝利の満足感以外に何も求めていない。

さらに言えば、勝ったことを自慢したり、手柄を誇ったりするという発想がまったくないんです。

結果として、悟空は、地球や人類のための「縁の下の力持ち」になっている。  

いや、そういう戦いを求める姿勢が逆に地球を危機に陥れたり、悟空が地球を救うために外で戦ったりしてばかりいるので、奥さんのチチが「家のことをほったらかしにして、地球を救うもへったくれもあるか!」と怒る場面がアニメには出てきます。

もしかしたら、働きもせずにバトルにうつつを抜かしている悟空は、石松や寅さん以上にダメな宇宙的落伍者なのかも知れませんが(笑)。  

ともあれ、魔人ブウとの最終決戦の土壇場において世界を救うのは、ミスター・サタンという、ちょっと困った性格の格闘家。

界王神界で魔人ブウと悟空、ベジータが対決するのですが、二人の力だけでどうしても倒せない。

最後の最後になって、ミスター・サタンの呼びかけで世界中の人々が「元気」を送ってあげたため、悟空は元気玉をブウにぶつけて究極の敵に勝つことができる……。  

こうした、最終的に勝利するのは主人公のスーパーパワーではなく友情や人と人の絆であるといった考え方や、結局、主人公たちは縁の下の力持ちのままという描写に、見返りを求めない日本的ヒーローの真髄を感じます。

—『「萌え」の起源 時代小説家が読み解くマンガ・アニメの本質 (PHP新書)』鳴海 丈著

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