【無料記事】手で考える
shiro様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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例えばぬいぐるみのようなフワフワしたものを撫でて遊ぶことがよくある。
スヌーピーの漫画に出てくるライナスも、常に毛布を手放さない。
自分にとって手触りのいいものに触れていることで、安心や心の平静を得ているのだろう。
子どもの世界にかぎった話ではない。
日本の茶道における茶器は、ただお茶を飲むための道具ではなく、手に持って重さや手触りを楽しむためのものでもあった。
あるいは武士にとって刀は単なる実用品ではなく、握った感じや刃の艶やかさが大事だった。
高級な和紙や染め物なども同様だ。
実用性や見た目だけではなく、手触りや質感にこだわる人は少なからずいるだろう。
ところが現在、私たちが日常的にもっとも酷使している感覚は視覚である。
たしかに、情報獲得において質量ともに圧倒的に優れている。
その点、触覚は忘れ去られつつある感覚だ。
ただ便利だからという理由で、触覚的なものを視覚的なものに置き換えているところもある。
しかし、視覚情報の中でも、触覚に訴えかけてくるものも増えている。流行の「 3 D」に象徴されるように、画面の中に質感を出したり、まるでその場に存在しているかのように見える印刷物だったりといった具合だ。
こういうものが台頭するのは、私たちがそれを求めているということでもある。
生活の中で、触覚的に何か満たされない思いがあるのだろう。
例えば、お腹が減ったときはご飯を食べれば済む。
しかし触覚的な欠乏については、あまり関心を払わない分、いつの間にかストレスが溜まっているのではないだろうか。
ペットの犬や猫を撫でるのも、当のペットのためだけではなく、むしろ人間のほうが癒されるためだろう。
「ただ触れていたい」という思いこそ、〝幸せ感〟の根源かもしれない。
そこで、あらためて触覚に意識を向けてみることをおすすめしたい。
大人が毛布を抱えて出勤するわけにはいかないが、身の回りのものの手触りを確認してみるのである。
例えばペンにしても、もちろん機能性が第一だが、その中でも重さや太さが「自分にはしっくりくる」という好みのものがあるだろう。
あるいは手帳やカバンの場合も、デザインやレイアウトもさることながら、外側の手触りも重要な要素だ。
とりあえず撫でていると落ち着くというものが身近にあれば、それだけで重宝する。
その感触で自分の感覚を取り戻すことができるからだ。
実際、こういうものに皮革が多いのは、使い込んでいくうちに手に馴染んでくるし、見た目にも手触り感が現れてくるためだろう。
あるいは木製や竹製、ガラスでできたものなど、身の回りには質感の違うものがいろいろあるはずだ。
それらに意識的に触れることによって触覚を目覚めさせれば、心の支えになってくれるに違いない。
—『日本人の心はなぜ強かったのか 精神バランス論 (PHP新書)』齋藤孝著
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