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走り続けているからこそ、鈍る感覚もあると気付いた、午前9時。

走り続けていないと感覚は鈍る。

少し前に、私は友人にそんな内容のメールを送りました。

仕事もおしゃれも、どんなことでも、貪欲に続けていくことで、進化することができ、感覚は研ぎ澄まされていくものだと思っています。

だけど、走り続けているからこそ、鈍ってしまう感覚もある。この記事は、そのことに気付いた防備録のような内容です。

今朝、2年前に公開された北川一成さんのインタビュー記事を読みました。

記事の最後に下記のような一文があります。これを読んで、私はハッとしました。

「『スイスあたりのデザイナーかと思わせるお洒落なポスターです』とか書いてくれます?」と北川は笑ったが、その無地のスペースは「まだまだ面白いこと、できますよ」というGRAPHからの所信表明のようにも感じられた。

これは、2017年10月に東京・銀座のG8というギャラリーで開催された「GRAPH展」という展覧会用のポスターについて語られた内容です。

ポスターは、鮮やかな蛍光イエローで余白だらけ。違和感のあるGRAPHさんらしい前衛的なデザインです。

そのたっぷりとった余白を「『まだまだ面白いこと、できますよ』というGRAPHからの所信表明のよう」と捉えたライターの方は、まさに感覚が研ぎ澄まされていると思います。文章の締めくくりに最適な未来的なフレーズです。

なんだかとても、心を動かされました。取材を通じてライターの方が感じ取ったことを自分の言葉で伝える、個人的な表現が私は好きなんです。

だからこそ、それを読んで、私はデザイン誌のライターとして走り続け、感覚を研ぎ澄ましているつもりだったのに、実は「鈍っている」と自覚しました。私は最近、デザインを「GRAPHからの所信表明」のように、自分の尺度で捉えて感覚的に表現していないと気付いたからです。

今の私はGRAPHさんのデザインをある意味、「見ているつもりで、実はちゃんと見ていない」のではないか。それはGRAPHさんのデザインに限ったことではなく、どのデザインも見ているつもりで、実は見ていないのかもしれません。

そう思うのは、身に覚えがあるからです。

経済効果とデザイン

私は2014年から日経BPのデザインと経営の定期購読誌、日経デザインの編集に参加し、2018年春からウェブメディア「日経クロストレンド」と「日経デザイン」という媒体で、北川一成さんの「デザインの限界」という連載を担当しています。GRAPHさんと私の出会いは2009年で、11年前。北川一成さんの「ずらしたデザイン」に心を奪われ、どういった考えでデザインしているのか知りたくて、取材をさせていただくようになりました。そのご縁で「デザインの限界」も担当しています。

連載は、デザイン経営がテーマです。クライアントの課題に対して、どんなブランディングを行い、その結果(売り上げや客数が●%増えたとか、社員の意識改革につながった)などプロセスを解説しています。

日経BPという媒体の特性上、デザインは広義で捉え、特に注視することは「デザインがどんな経済効果をもたらしたか」といった結果。その視点を軸に、デザインを見ることがクセになっています。

それは、日経デザインのライターとしては不可欠なクセとも言えます。なぜ、この商品が売れているのか。デザインはどう貢献しているのか。色や形だけではないデザインのことを真剣に考える時間が圧倒的に増え、おかげで、デザイン経営に関する取材は得意分野となり、私なりに成長もできていると自負しています。

ただ、デザインを純粋に見る視点もなくしてはいけない。デザイン誌のライターとして自分の尺度も不可欠です。

蛍光イエローの余白部分を「決意表明」と捉えた一文を読み、自分のデザインの見方が偏り気味で、それによって純粋な気持ちでデザインを見る感覚が鈍ってきていると気づいたのでした。

走り続けていないと、感覚は鈍る。だけど、走り続けているからこそ、鈍ってしまうものもあるんですね。

少し前、尊敬する日経BPのベテラン編集者の方が「AIも記事を書く時代。これまで記者に個性なんて必要ないと思っていたけど、今後は変わってくるはず。個性は大切になると思っている」と話していました。そのことも思い出しました。

GRAPHさんと出会った頃の「初心」に立ち返るために、2008年に出版された北川一成さんの著書「変わる価値」を再読することにします。

この本は「わかる」と「できる」は違うというテーマで綴られたデザイン書。養老孟司さんや葛西薫さんとの対談や、サイトウマコトさんのインタビューなども収録されている良書です。


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