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『出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記』の感想

 読み始めてしばらくすると、ある脚注に目が釘付けになった。

”これはのちに『英語を10倍楽しむ方法』(近代文芸社)として出版された”

 そうか、この本の著書の宮崎伸治さんは、『英語を10倍楽しむ方法』の著者だったのか。『英語を〜』は1996年に出版された英語の勉強法についての指南本で、高校生の頃に私はこの本を読んでいた。歯切れのよい文体、行間から溢れ出る英語力への自信、どこかユーモラスで諧謔的(あるいは自虐的)な言葉の使い方は今も昔も変わらず、懐かしい思いがした。出版社とのトラブルで怒ったときの「にゃに〜!」という言葉遣いが、とても著者らしい感じがした。

 『英語を〜』の内容はもうあまり覚えてないが、ずばっと言い切る歯切れの良さが、印象に残っている。あと「英語のポルノ雑誌を読むのも一つのテである」みたいなことが書いてあって、ずいぶん自由な発想をする人だなと思ったのも覚えている。あとは、巻末におすすめのカセットテープや洋書を扱う書店などのリストがあり、アドバイスが具体的なのも良かった。

 著者自身がきっと英語を学ぶのが大好きで、”英語は楽しく勉強できる”というメッセージが伝わってきたのが、当時の自分にとっては一番の収穫だったかもしれない。そんなポジティブなメッセージを伝えてくれた著者が、四半世紀近い時を経て、目の前に現れた。しかも、今度は悲観的なタイトルをひっさげて。高校時代の教師に久しぶりに会ったら、やさぐれたアル中になって人生についてボヤいてた…、みたいなちょっと切ない感じだ。

翻訳家の悲哀

 本書『出版翻訳家なんて〜』は、著者の半生をかけた翻訳家人生の悲喜コモゴモが描かれている。悲しみ7割、喜び3割ぐらいの分量。出版社との約束を反故にされたり、怒りのあまり本人訴訟まで発展してへとへとに疲れたりする。他人事として見ている分には「いやーご苦労さん! よくやるね!」という奮闘記として面白く読めるのだが、私もライターとして出版業界の末端に身を置いている身だ。自分だったら最悪やなーと、ゾッとする思いもある。

 本書だけを読んでいると、出版社や編集者というものは非常にヤクザな人たちに見える。著者は随分ひどい目に遭っているようで、それに比べたら、私はかなり恵まれてるほうだな、あー良かったとも思う。だが、編集者の側にもきっと言い分があるだろう。編集者の側にも色々と落ち度があったようだし、翻訳家をナメてかかるような人もいたのかもしれない。だが一方では、著者自身ももう少しうまいこと世渡りできなかったのかなあ…、とも思う。読んでいると、正義感が強すぎるというか、清濁合わせ飲むようなことができない性分なのかもと感じた。いやでも、世渡り上手だったり、そもそも個人で翻訳家などやらないかもしれない。

 著者と出版社とのボタンのかけ違いはどこからどう生まれて、それが修復不可能なまでに悪化してしまったのは、なぜだったのだろう。そこがとても気になった。できることなら、出版社の側や他の翻訳家の方々の見解を聞いてみたい。出版翻訳の世界とは、そんなにヤクザな業界なのだろうか。本書を読んだだけでは、欠席裁判のような形になっているのが気になった。とはいえ、著者にとっては確かにこのように世界が見えていたわけで、気の毒に思う。

契約書を交わすべき?

 私の周囲でも出版トラブル(金銭が支払われない等)を時々聞く。トラブルになれば「ちゃんと契約書を交わしておくべきだった…」という話になるのだが、私自身は、契約書を交わすのは好きではない。最近は事前に報酬金額を書面で明示すべき、メールでいいから契約関係をはっきりさせたほうが良い、契約を交わさないのは仕事を請け負う側にとって不利でトラブルを招くとも聞く。特に、弁護士など法律関係の人に言わせれば、口約束のナアナアで物事が進み、どんぶり勘定で決まって振り込まれてから金額を知る、ギャラの話を一切せずに業務が進行するという事態は、あり得ないことなのだろう。

 結論から言えば、「信頼関係があれば、契約書はいらない」ということだと私は思う。ここで言う「信頼関係」は、単に相手がウソをつかなそうだ誠実そうだというだけでなく、銀行的な意味の「与信能力」の意味もあると思う。両者の間に信頼関係があり、支払う側に与信能力があれば、契約書などなくてもそれほどひどいことにはならない。トラブルなど起きない。(と信じたい)。

 ライターとして仕事をしていると、「やってみないと分からない」「書いてみないと分からない」ことが少なからずある。たとえば誰かにインタビューをするとして、相手の話が死ぬほどつまらなくて2ページの予定を1ページに変更する、なんてことは普通に起こり得る(もちろん逆もあり得る)。そんな不確かなものを相手に、期日や文字数、報酬金額といったものを事前に厳密に決めるのは無理がある。絵に描いた餅の取り分を決めるなんて、ナンセンスだ。それに、キッチリ契約書など交わしたら、1日でも締め切りをすぎたらはい賠償金、みたいな殺伐とした世界になりかねない。そんな世界から面白い成果物が出てくるとも思えない。

 とはいえ、なかには「信頼関係」や「業界の慣習」といったものを悪用し、自己保身をはかる出版社や編集者もいるのかもしれない。昭和の景気の良い時代はナアナアで進めても結果オーライでみんなハッピーだったのだろうが、景気が悪ければ、そんな余裕はなくなってしまうのかもしれない。であれば、「契約書を交わしましょう」という堅苦しい正論が幅を利かせるようになるのも無理はない。個人的には、ある程度ナアナアでもうまく回る世界であって欲しいのだが。

現在の職業は「警備員」

 ところで、本書のあとがきを読んでギョッとした。著者は確定申告の職業欄に「警備員」と書いているという。出版翻訳の依頼があったとしても、もう引き受けないとも言う。英語力や翻訳能力を精一杯高めて多くの仕事をした結果、今は英語力不要の警備員。本当だろうか。希望的推測ではあるのだが、警備員はあくまで副業で、何らかの翻訳業務を続けているのではあるまいか。本書冒頭でも書かれていたが、オフィスビルの夜間通用口など、電話番だけしていればよくてバイト時間の9割を翻訳に当てられる美味しい副業バイトとして警備員をしているだけなのではないだろうか。そうであることを願いたい。

 蛇足だが、本書では「D社:文京区にある、雑誌も多数刊行する大手総合出版社」など、そんなのアノ会社しかないだろという仮名が多い。社名のモザイクが薄く、登場するA〜G社のうち半分ぐらいはたぶんあれかなー、と見当が付くのも面白かった。書かれた側からしたら、やや迷惑かもしれないが。

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